「地獄への道は善意で舗装されている」は誰の言葉か

ロリコンファルさんのトラックバックを参照して追記しました。(06.06.11)


貧困と闘いつつ、貧困者に害をなすNGOたち
上記記事の本文ではありませんが、はてブのコメントや日記に

などのコメントがあり、なかなか印象的な格言だと思ってググって出典を調べてみると、ダンテの神曲とかマルクス資本論他、諸説出てきてしまいました。昔からのことわざとか異論はいろいろあるのですが、ダンテとマルクスが多いようです。
議論とかでは言葉の意味が重要で出典はあまり気にしなくても良いとは思うのですが、出典が不明だとどうしても誤用とか話が脱線して険悪になりがちです。実際、今回検索した中でも掲示板などで出典がどうのこうので水掛け論になっているのがいくつかありました。
答えのでない議論と違って、出典の場合は結果が分かるのでできるだけソースを確認するようにしています。(「結果がはっきり分かる」には、「不明」「複数ある」なども含みます。)


神曲(ダンテ)

2ch−出典が判らないフレーズ

14 名前: 無名草子さん 投稿日: 2001/05/02(水) 14:34
「地獄への道は、善意で敷き詰められている」

これは有名ですけど、誰が言ったせりふなんでしょうか?
どっかではレーニンだと書いてあって、またどっかではマルクス、あるいはヨーロッパで古くから言われてる言葉だとも聞いた事があります。

17 名前: 無名草子さん 投稿日: 2001/05/03(木) 10:04
ダンテの神曲では「ここに入る者はすべての希望を捨てよ」
と地獄の入り口に書いてあった、というやつですね。


青空文庫−アリギエリ・ダンテ Alighieri Dante 山川丙三郎訳 神曲 LA DIVINA COMMEDIA 地獄

   第三曲

我を過ぐれば憂ひの都あり、我を過ぐれば永遠(とこしへ)の苦患(なやみ)あり、我を過ぐれば滅亡(ほろび)の民あり 
義は尊きわが造り主(ぬし)を動かし、聖なる威力(ちから)、比類(たぐひ)なき智慧、第一の愛我を造れり 
永遠(とこしへ)の物のほか物として我よりさきに造られしはなし、しかしてわれ永遠に立つ、汝等こゝに入るもの一切の望みを棄てよ 
われは黒く録(しる)されしこれらの言(ことば)を一の門の頂に見き、この故に我、師よ、かれらの意義我に苦し 

(強調と行番号の削除は、引用者による。)

最初に青空文庫のテキストをいくつかキーワードを変えて全検索してみたのですが該当箇所が見つからず、結局上記の2ch説明が正しいようです。(あくまで、推定ですが。)
つまり、「地獄の入り口の門で全ての望みを捨てる」→「入り口、つまり地獄の道には捨てられた多くの望みが落ちている。」→「地獄への道は善意で舗装されている。」という非常に遠回りな読み方のようです。

資本論マルクス

資本論青空文庫に無かったため、原典を確認することはできませんでしたが、いくつか資本論に書いてあるという記事を見つけることができました。

高岡法科大学 法律雑学講座:あまりに悲劇的な逆説

では、「地獄への道は善意で舗装されている」と言ったのは、いったい誰なのでしょうか。前出の倉田卓次氏が調べたところによると、ドナルド・アダムズ編『重要引用句集成』(1960)では初出・カール・マルクス著『資本論』(1867)と記されているとのことです。

初出は、『資本論』と『重要引用句集成』に書いてあるそうです。


『モスクワで粛清された日本人』プロローグ

 まことに、地獄への道は、無数の善意で、敷き詰められていたのである*。

  * K・マルクス資本論』第1巻第3編第5章第2節「価値増殖過程」注14参照。

こういう風に詳細な参照先が書いてあるとありがたいです。

まとめ

結局、ネットで検索しただけでは、「地獄への道は善意で舗装されている」の出典を確認することはできなかったのですが、初出は資本論の可能性が高そうです。本当に掲載されているかどうかは、図書館にでも行って原典を確認しないとはっきりとは言えませんが。
神曲説の方は記載が見つけられなかったのと非常に遠回しな書き方で、そう読み取れなくもないという程度なので、出典とは言えない感じです。ただ、神曲は1300年代に書かれたので、記載が見つかればこっちが初出は間違いないのですが。

追記(06.06.11)

ロリコンファルさんが資本論の原典を引用してくれましたので、追記しておきます。
資本論の本文に記載されているので、この「地獄への道〜」という言葉はマルクス自身の言葉でいいようです。

ロリコンファル - 「地獄への道は善意で舗装されている」の原典 −資本論−

俗流経済学に明るい資本家はおそらく云うであろう、――自分は、

自分の貨幣をより多くの貨幣たらしめる意図をもって投下したのだと。

だが、地獄への道は善き意図をもって舗装されている。彼は同じように、

生産することなく金儲けをする意図をもちえたのである。

資本論第1巻第3編第5章第2節、注釈14がついている部分)

(強調は引用者(私)です。)

追記(06.06.20)

芝田進午追悼文

その新日本版には、「地獄への道……」の箇所に、「罪人の歩む道は平坦な石畳であるが、その行き着く先は陰府(よみ)の淵である旧約聖書続編、シラ、二一-一〇)に由来し、のちにイギリス、ドイツの諺になった」と訳注が付されている。

(強調は引用者です。)

上記によると「地獄への道……」は旧約聖書続編(旧約聖書?)に由来し、イギリス、ドイツの諺になったと書かれています。


追記(06.10.10)

Google Book Searchで「地獄への道……」の原文「The road to hell is paved with good intentions」を検索した結果、資本論の発刊日である1867年以前の複数の著作が見つかりました。それらについては、こちらを参照してください。