デュマ「盗作したことは認める。しかしおれの方が面白い」のネタ元はウソが9割のパロディ本

Googleで「デュマ 盗作 面白い」を検索すると約8000個のページが見つかり、上位のほとんどは、デュマが言ったとされる「盗作したことは認める。しかしおれの方が面白い」を引用して盗作を肯定するようなことが書いてあった。

ここで言われているデュマは大デュマとも呼ばれ、三銃士やモンテクリスト伯の作者として有名。そんな有名人が本当にこんなことを言ったのかソースを探すと以下が見つかった。

ダメな人のための名言集 (幻冬舎文庫)

ダメな人のための名言集 (幻冬舎文庫)

乱調文学大辞典 (講談社文庫 つ 1-3)

乱調文学大辞典 (講談社文庫 つ 1-3)

一つ目は唐沢俊一氏の著書で2005年07月に発行。この本の表紙の挿絵と以下のサイトの画像ファイル(作者不詳)のキャラクタが同一なことから、この画像ファイルはこの著書をキャプチャした可能性が高いと思われる。もしそうであればソースが無く引用している内容も「乱調文学大辞典」と同じであるので、「乱調文学大辞典」かネットの記事を引用しただけということになる。

二つ目は筒井康隆氏の著書で昭和47年1月28日発行。こちらは図書館から借りてきて内容を確認した。
乱調文学大辞典
問題のデュマの項目は次のように書かれている。
デュマ_乱調文学大辞典

デュマ
「三銃士」や「モンテ・クリスト」を共作したデュマの弟子オーギュスト・マケは、自分の作品がデュマに盗まれたことを憤って訴訟を起こした。デュマは法廷でいった。「盗作したことは認める。しかしおれの方が面白い」ご立派!

乱調文学大辞典 P.66

確かにデュマが法廷で「盗作したことは認める。しかしおれの方が面白い」といったと書かれている。しかし、この本はタイトルに「乱調」が付いている事からも分かるようにパロディ本なので、書いてあることが事実とは限らない。それは著者の筒井氏が自序でしつこく書かれている。

題名でおわかりの通り、これは文学事典のパロディである。本当はこの序文も、辞典類の序文をパロディにしたかったのであるが、それはやめることにした。「乱調」の意味がわからぬままに、まっとうな文学事典であると思いこんで買う読者があらわれることを恐れたためである。
まさか、とお思いであろう。ところが、いるのである。(中略)真面目に終わりまで読み、「もしかするとこの本は、少しまちがっているのではないだろうか」と、真面目に考えこむ人がいらっしゃるのである。
(中略)
なお、本辞典の項目は七〇四ある。このうちの約十分の一ほどは、事実をそのまま書いた方が面白いと思ったため、特に茶化しもせず、パロディにもしなかった。だから幾分かは事実も含まれているわけである。(中略)事実なのかパロディなのかを調べてごらんになるのも一興だろう。(そんな暇な人はあまりいないだろうが)
繰り返して申し上げる。これはパロディである。(中略)故に、本文中の誤りについては、著者は何の責任も持たぬことをここにはっきりおことわりしておく次第である。

乱調文学大辞典 自序[第一版]

ただ、本当にこの本の内容を真に受ける人がいるというのは疑問に思う。下ネタ多いし。

ペーパー・バック
尻の処女膜

乱調文学大辞典 P.85

マスコミ
新聞・雑誌・ラジオ・テレビ・映画などの媒体を通じて、大衆にマスターベーションのやり方を伝達すること。

乱調文学大辞典 P.90

この本は全体的に皮肉とウィットに満ちていて面白い。とても30年以上前の本とは思えない。まあ、30年以上、世の中、特に出版/放送業界が変わっていないと言うことかも知れない。

ぜっぱん[絶版]
本の重版を、しないと決めること。理由としては1その本が売れない。2出版社と作者の喧嘩。(以下、略)

乱調文学大辞典 P.53

出版社と作者がケンカをするとその作者の本が絶版になるというのは小説の頃からの伝統らしい。今、この伝統はマンガ業界で問題になっているが、早く見直されて欲しい。

悩んで、悩んで、小学館を離れる決心をしました。
それを担当に告げると、
「だったら、いままでの出版物を全部絶版にする!」と言うので、
驚いて、「脅すんですか?」と言ったところ
「脅してるのはそっちでしょ!!」と言われてしまいました。

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結局、デュマが上記の発言をしたかどうかは分からなかったのだが、それだけでなく裁判をしたかどうかすらも分からなかった。

これにはオーギュスト・マケという若い相棒の協力と、ネルヴァルの助言が見逃せない(ネルヴァルはそのうち「千夜千冊」にとりあげる)。とくにマケは原稿の下書きや筋書きの多くを受け持って、何本かを“共作”するのだが、発表はすべてデュマ名になった。それでもマケはその仕事に甘んじていたようだ。

http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1220.html

上記サイトによると、共作でありながらデュマ名で発表することを受け入れていたようだが、後からお金が欲しくなり訴訟を起こしたのだろうか。それとも、訴訟自体がなかったのだろうか。

追記(2008/06/29)

アレクサンドル=デュマ (Century Books―人と思想)により、デュマとマケが裁判で争ったことは確認できた。

1857年2月、かつての執筆協力者オーギュント=マケがデュマに対して訴訟を起こした。ギュスタヴ=シモン著『協力関係の一部始終−アレクサンドル=デュマとオーギュント=マケ』によれば、マケ側の主張は以下のとおりである。
1854年、『小説製造アレクサンドル=デュマ会社』の一件で、デュマがミルクールに訴訟を起こしたとき、デュマに頼まれて、マケは『三銃士』、『モンテ-クリスト伯爵』、『王妃マルゴ』など主だった小説作品七編について著作権を放棄するデュマ宛の手紙を書いた。この手紙を書くのと引きかえに、デュマはマケに十分報酬を支払うことを口約束していた。しかしながら、この報酬についても、また、その後共同執筆したあまたの作品の報酬についても、1848年に協定書を交わしたにもかかわらず、デュマはいっこうに約束どおりマケに支払っていない。(中略)この際、累積した未払い報酬を払ってもらいたい。
(中略)
そろそろ、これまでデュマの名前だけで世に出していた全ての共同執筆作品に、デュマと並んでマケの名前も印刷するようにしてもよいのではないか?
アレクサンドル=デュマ P.186

そして、裁判の結果は次のようになった。

1858年2月3日に判決が下るが、共同執筆した作品のうち18編について、印税は25パーセントの割合でマケに支払われることになったが、著作権自体はマケにはなく、著作者としてマケの名前は印刷されることはない、ということになった。
アレクサンドル=デュマ P.186

なお、本エントリのタイトルにあるようなことをデュマが言ったという記述は見あたらなかった。


追記(2009/11/29)

id:SigZさんのコメントに対する回答を以下のエントリに書きました。