フェアユースをめぐる議論と現実のギャップ

今の日本の著作権法は、やりにくい部分があるなというふうに思っていて、その結果、どんなことが起きているかというふうに思っているかというと、本来、国内にたまるべきデータとか、情報というのが、不完全なゆえに、国外に流出している、国外にたまりつつあるという感じを持っております。

デジタル・ネット時代における知財制度専門調査会(第5回)議事録

ヤフーの人がフェアユースを議題にした会議で日本の著作権法について意見を述べている。内容は間違ってはいないと思うが、今、起きていることと比べると周回遅れの話をしているように感じる。
ヤフーの主張は検索サービス関連が主のように見えるが、ポータルサイト全盛の時代に人手によるリンク集作り(ディレクトリ検索)をしていたヤフーが、新たに登場したロボット検索に人手で対抗しようとしていたり、検索によって得られる情報の価値に気づかずにGoogle検索エンジンを借りていたことを考えると、滑稽にさえ思えてくる。

もし今、著作権フェアユースのあり方について議論するなら、すでに勝負のついた検索エンジンの話ではなく、少なくとも今、問題になっているサービスについて議論して欲しいと思う。たとえば、先日、日本で始まったストリートビューような。

もしかしたら、参加者は著作権関連の専門家なのでストリートビューのようなサービスが専門外と言うかも知れない。やって良いとも悪い判断できないかも知れない。アメリカでも決着はついていない。しかし、だからこそ、議論する意味があるんじゃないかと思う。

ストリートビューは昔の街の記憶を保存しておける可能性があると思う。

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自分勝手な想像で上記のエントリを書いたが、もしそれが現実となった場合、私たちの国/地域の記憶にも関わらず、米国の一企業がその情報を独占することになる。例えば、今の東京の街並みは誰でも東京に行けば眺めることができるが、10年、30年前の東京の街並みは誰一人眺めることはできない。Googleだけがその不可能を可能にする可能性がある。10年後、30年後の人々は過去の東京の街並みを米国の企業のサービスを使って再現することができるのかもしれない。

米国だけに情報が貯まっていくことが問題だと思うのはヤフーの人と同じだ。しかし、未来の技術に適用可能な法制度を決めようとしているのに、過去の技術をベースに話を進めようとしていることに違和感を感じてしまう。

ただ、もともと、未来に始まる新サービスに対応した法制度を作ること自体が、不可能なのだとも思う。将来、どんな新しいサービスが生まれ、それがどのような価値を生んでどういう影響を与えるかなど誰にも分かるはずがない。分からないモノに対応できる法律など作れるはずがない。今、サービスが始まっているストリートビューでさえ、それが法的に許されるのか、判断できていないのだから。

グーグルもそれが分かっているから、予め万全の体制でサービスを開始して、個別対応(顔や車のナンバーにぼかしを入れるなど)でサービス提供をしているように見える。いずれサービスの価値が分かれば法律も後追いで整備されると思うが、当然その頃にはグーグルがその分野を独占することになるのだろう。