アレクサンドル・デュマ(大デュマ)の原作者に対する敬意

ネットでは『三銃士』の作者として知られるフランスの文豪アレクサンドル・デュマが弟子から盗作を訴えられて「たしかに盗作した だが俺の方が面白い」と答えたいう話が有名です。その話が疑わしかったので以前に「デュマ「盗作したことは認める。しかしおれの方が面白い」のネタ元はウソが9割のパロディ本 - うつせみ日記 (Utsusemi Nikki)」で、どうやら明確なソースのない与太話らしいというエントリを書きました。
ただ、先日、id:SigZさんから次のコメントを貰いましたので改めて調べてみました。

デュマの盗作の逸話は『乱調文学大辞典』以外でも読んだ記憶があります。書名までは定かではありませんが、おそらく『世界史こぼれ話』のシリーズのどれかではなかったかと思います。


Wikipediaによると『世界史こぼれ話』シリーズは上智大学名誉教授の三浦一郎さんという方が1955-1956年に発行されて、その後、角川文庫から再発行されて人気となったそうです。

結論から言うと、『世界史こぼれ話』シリーズ(1〜5)に「たしかに盗作しただが俺の方が面白い」という話は書かれていませんでした。ただ、索引のデュマ(大)の項目をたどっただけなので、見落としがあるかもしれません。以下、デュマ(大)について書かれていた項目を引用します。

怠惰的勤勉
大デューマと言えば『モンテ・クリスト伯』のような大作を、しかも数多く書いた男として知られるが、彼はそれを大半、寝床の中で寝そべって書いたのです。

世界史こぼれ話1 P.12

不肖の子
ある人がアレクサンドル・デューマと歩いていると、向こうからきた若い男をデューマは彼に紹介して「これはわたくしの若い時の子ですが、この子はこの年でまだ独り者だし、子供もないんですよ」

世界史こぼれ話2 P.51

渡り鳥作家
デューマはひっこしぐせがあり、しょっちゅう住所をかえていた。そしていうのだった。「ぼくはほんとうはどこにも住んでいないんだ。ぼくは鶏のようなもんだ。あちらに休んだり、こちらに休んだりする。ちょっとの間、枝にとまったかと思うと、すぐによそへとんでゆくんだ」

世界史こぼれ話3 P.121

専従制
アレクサンドル・デューマはやたらに長編大作を書きとばした。自分一人では足りず代作者も使ったといわれる。したがって、自分の書いたものさえよみなおしたこともなかった。そして平気な顔をしていうのだった。「おれは書くのにだけ時間を使ったのだ。読む方の時間は他人にまかせたのだ」

世界史こぼれ話3 P.127

友情の具体的表現
フランスの劇場にはやとわれているカッサイ屋がいた。そのカッサイ屋の一人ポルシェにデューマは1856年の元旦に招待された。ポルシェが「今日は他人行儀はやめて、きみ、ぼくでつきあって下さい」とたのむと、デューマ「こころえた。ところできみ、千フランほど貸してくれたまえ」

世界史こぼれ話3 P.139

多作の秘密
大デューマが大長篇力作をどしどし発表するので、ある人がその秘ケツを息子の小デューマにきいた。「なにね。オヤジは夜中に夜中に大食いするくせがあるのさ。それで消化不良になりねむれないから、毎晩ねむらずに小説をかいてるってわけさ」

世界史こぼれ話3 P.141

帝国主義作家
大デューマはシラーの「ドン・カルロス」の一場面をそっくり自作の「アンリ三世」にとりいれた。これが指摘非難されたが、デューマは平気で、「ぼくは他人の作品を盗んだんじゃない。征服し、併合したんだ」

世界史こぼれ話3 P.150

つきあいかねます
大デューマが「歴史劇場」のこけら落としのために書いた新作「マルゴ女王」は、夜の六時半に開幕され、最後の幕が降りたのは翌朝の三時だった。何とたっぷり八時半という大長編劇だったが、彼の「モンテ・クリスト」は完全に上演するのに三晩かかった。

世界史こぼれ話4 P.59

作者と読者
デューマは自作は書きっぱなしで、読んだこともなかった。しかし死の床で息子にすすめられて自作を次々に読んだ。そして「モンテクリスト」を途中まで読んだ時、「残念だ!結末がどうなるか読み終えないうちにおれは死にそうだ」

世界史こぼれ話4 P.73

小便小僧
デューマは生まれるとすぐ裸のまま父親のところへ見せに連れて行かれた。すると赤ん坊は急におしっこをした。それはとてつもなく高く遠くまで走った。父親はよろこんで「大人だってこんなに小便を飛ばす奴はない。こいつはきっと大物になるぞ!」

世界史こぼれ話4 P.98

ダシガラはごめんだ
ヴォルテールの書いた「ロシア史」の序文に「この本で述べられるのはロシア皇帝の公の生活である。私的生活は面白い逸話とともに省かれるであろう」とあるのを読んでアレクサンドル・デューマはいった。「ばかげている、より良い、より面白い方を省くなんて!」

世界史こぼれ話4 P.117

しつっこい
アレクサンドル・デューマは死の床で息子にいった。「息子や、ざっくばらんにいっておくれ、わたしの作品の幾ページかは、後世に残るだろうか」「ごはんしんなさい。たくさん残りますよ」「神にかけて誓うか」「誓います」

世界史こぼれ話4 P.158

極端と極端
アレクサンドル・デューマは大変な美食家の上に、大食漢で、普通の人の十倍くらい食べても、なんともなかった。しかし、飲む方はだめで、酒もコーヒーも一滴ものまなかった。その上執筆をはじめると、食べることを忘れ、食事をぬかしても平気だった。

世界史こぼれ話5 P.23

女はこわい
アレクサンドル・デューマは「おれは子供を五百人つくったが、結婚は絶対しないぞ」といばっていた。ところがある女に借金の証文をみな買い集められ、「わたしと結婚してくれないなら、借金不払いで訴えて、牢屋に入れるワヨ」とおどかされ、やむを得ず結婚してしまった。

世界史こぼれ話5 P.186

Amazonで検索すると『世界史こぼれ話』シリーは6まであるようですが、5までしか確認できませんでした。ただ、仮に6に書いてあったとしてもおそらく上記のような感じで、ソースも出典もなくただ目の前で見てきたかのように書かれているだけだと考えられます。

なお、1の表紙には次のように書かれています。

たしかな出典にもとずいた歴史上の人物の640余のユーモアにあふれたエピソード傑作集。

いったいこの本のどこに出典が書かれているのか教えて欲しいものです。別にユーモアがダメとか、歴史上の人物を茶化すが良くないとか、そういう話ではなく、少なくともフィクションかノンフィクションかを明記すべきだと思います。この文庫本には内容についての説明は一切無く、古今東西あらゆる分野の歴史上の人物についておもしろおかしく書いてあるだけでした。そして、表紙には「たしかな出典にもとずいた」とあります。


「原作者」を尊重していたデュマ

「パリの王様たち」という本にはデュマが共作を始めた時の経緯について次のように書かれています。
劇場の支配人から、ガヤルデという男の、題材は良いが構成も文体も稚拙でそのままでは上演できない脚本の修正を依頼された時、デュマは次のように答えています。

デュマは自分が手を加えれば、傑作に変わることを確信した。そこで、彼は、10パーセントのコミッションを貰うという条件で手直しを引き受けた。ただし、殊勝にも自分の名前は出さないでくれといった。

パリの王様たち P.219

しかし、支配人のデュマの名前がないと客が呼べないという話しやガヤルデの共作をしたくないという話もあり、妥協案としてデュマの名前を「***」として『ネールの塔』は上演されました。

また、新聞小説『騎士ダルマンタル』はマケという歴史教師が原作を書きデュマが加筆して新聞に掲載していましたが、署名はデュマ一人だったそうです。これについて、「パリの王様たち」の著者は次のように説明しています。

デュマは連名の署名でもいっこうにかまわなかったのだが、例によって営業サイドがこれを許さなかったのである。

パリの王様たち P.221

ただ、作品による収入までデュマが独占していた訳ではなく、マケにも相応の還元をしていたようです。

デュマは自分一人で署名して原稿の価値があがった分はちゃんと共作者に還元してやった。デュマとマケの印税について、おそらくは六対四の比率ぐらいで契約を結んでいたものと思われる。というのも、この『騎士ダルマンタル』でマケは八○○○フラン(八百万円)という、バルザックも羨みそうな大金を受け取っているからである。

パリの王様たち P.221

これらの例からは、デュマは自分の役割や能力の価値を理解していたし、原作者たちの価値もまた認めていたように見えます。しかし、デュマが「たしかに盗作した だが俺の方が面白い」と言ったという話からは、原作者たちの価値を否定し作品をより面白くできる自分の能力を過大評価しているように見えてしまいます。100年以上前のことなので、実際にどうだったのかを知る術はありませんが、やはり先人たちを貶めるような根拠のない逸話をばらまくのは問題だと思います。