希望格差社会


週刊!木村剛−ホリエモンの“抹殺”が希望格差社会を生む


を読んで、


内田樹の研究室−希望格差社会


を読みました。


木村氏はホリエモンのような「成り上がり者」(この言葉久々に聞きました。アメリカの経済を引っ張っているMicrosoft, Apple, Google, Yahooはみんな成り上がり者になりますね。)を抹殺しようとする旧体制が希望格差社会の元凶と言われています。



内田氏(1年前のブログ)は、弱者を支援/救済するシステムが必要だと言われています。
個人的にとても納得したのは最後の部分です。

重要なのは「哲学」だと私は思っている。
人間の社会的能力は「自分が強者として特権を享受するため」に利己的に開発し利用するものではなく、「異邦人、寡婦、孤児をわが幕屋のうちに招き入れるために」、その成果をひとびとと分かち合うために天から賦与されたものだ。
そう考えることのできる人間たちによって、もう一度破壊された「中間的共同体」を再構築すること。
「喜び」は分かち合うことによって倍加し、「痛み」は分かち合うことによって癒される。
そういう素朴な人間的知見を、もう一度「常識」に再登録すること。
それが、迂遠だけれど、私たちが将来に「希望」をつなげることのできるいちばんたしかな道だろうと私は思う。


ブログのコメントなどには、将来に悲観的になりすぎている、危機感をあおりすぎているなどが書かれていますが、私も非常に悲観的に思っている一人です。
問題になることが明らかなのは、1.人口減少、2.高齢化社会の2つです。
明治時代は今の人口の半分以下の5000万人でしたが社会は維持できていました。
人口が減って何が問題かというと人口ピラミッドが逆三角形になることです。
20年、30年後に何が起きるかというと、労働人口と不足と福祉費用の増大です。
映画「時計仕掛けのオレンジ」の様に社会の役立たずである老人を”悪”と見なし攻撃するようになるかもしれません。
今現在でもホームレスを子供が襲うケースが増えてきています。
労働人口の不足から海外からの外国人労働者が増え、日本人と職の奪い合いになるかもしれません。
例えになるか分かりませんが、ある相撲部屋の親方はモンゴル人と日本人の子供では覇気や気迫が全然違うと言っていました。
外国人にとって日本ではいろいろなハンデも多いですが、それ以上の能力を発揮するように思います。
職にあぶれた日本の若者はなぜ、こんな社会になったのか、疑問に思うでしょう。
そして、こんな社会にした張本人たち、今はのうのうと年金で暮らしている老人たちを、憎むのではないでしょうか。


あと、もう一つの大きな不安要素は、異常気象です。
そう遠くない将来(数年〜十数年後?)に世界的な食糧不足になるかもしれません。


「今のままで良い」と言っている人もいましたが、今の経済システムも社会システムもやがて続けられなくなると私は思っています。