現金が嫌い

レジでお金を支払う度になんでこんなことをしなければいけないのかとウンザリする。財布を出して支払う金額に釣り合う金額を探して支払う。6円とか8円とかの端数があるとさらに面倒になる。持ち合わせがあるかを数えてなければ10円を追加で払ったりする。たまたま持ち合わせが少なかった時にお金が足りず商品を返した事があった。それ以来、支払い前に財布の中身を確認するのがクセになってしまった。別に自分の好き嫌いに関わらず、現金のやり取りって煩雑で邪魔な作業だと思う。レジで長い行列ができている時も何人もの人を待たせながらレジでは間違いのないように一生懸命小銭を数えている。そして最初の疑問に戻る。なんでこんなことをしなければなれないんだろう?

自分は会社員なので毎月月末に会社から銀行に給料が支払われる。何かサービスや商品を買ったらお金を店員に支払うがそれはお店の銀行に預けられてその一部は店員さんの給料として別の銀行の口座に移されるだろう。働いている会社の口座→自分の口座→お店の口座→店員さんの口座→・・・とお金の所有権が点々と移り変わるがそれを現金というモノの受け渡しでするのは効率が悪い。できるだけ人手を介さずに直接銀行の口座間で受け渡すのが一番効率的だろう。

日本にはSuicaをはじめ様々な電子マネーがある。しかし、それらはちょっと用途の広い図書券みたいなものだから、お金の代わりにはならない。「電子マネー」がお金なのは名前(マネー)だけで実際には用途限定の商品券でしかない。お金がお金であるのは万人が同じ価値を認めているから。ある人が持っている一万円は他の誰から見ても一万円の価値があり2万円に増えたり1000円に目減りしたりはしない。電子マネーは、それが使えるお店なら価値があったとしても、使えないお店なら価値はない。そもそもお金に戻せないこと自体、本質的にお金の意味を失っている。
また、いちいちお金をチャージしなければならないというのもおかしい。普通、私たちは日常的に使うお金を現金として財布に入れて持ち歩いている。チャージもそれと似たようなものと考えることができるのかも知れないが、だったら財布の現金を銀行口座に預けるのと同様にお金に戻せるようにして欲しい。さらに電子マネーのカードを落として誰かに拾われたら使われてしまうことを防げない。現金も他人に拾われたら使われるが、せっかく電子化したのにモノとしての現金と同じ欠点を引き継ぐ必要はない。こういう欠点は日本で普及している電子マネーのほとんどがプリペイド方式(事前にお金を支払う方式)ゆえの欠点だと思う。
クレジットカード方式(後から支払う方式)の電子マネーであれば、これまで書いたプリペイド方式の欠点のほとんどをなくすことができる。プリペイド方式の場合、使える店舗に制限があるとは言えずっと普及しているし、チャージは不要、紛失しても認証(暗証番号や指紋認証等)が必要なので他人は使えない。だからこそiPhoneのApplePayのサービスが日本で開始されるのを心待ちにしている。

もし現金が無くなれば、現金輸送車もATMも銀行強盗も存在しなくなる。それに関わるサービスも機械も必要なくなる。現金に関わる負担は実際にはかなり大きな金額だと思うが、それを商品の価格として負担しているのは我々消費者だろう。TV CMなどの広告費を意識していないのと同じだ。気になるのはお年玉みたいな個人間のお金のやりとりなのだが、ポチ袋に拘るなら小切手、拘らないなら近い将来メッセンジャーの送信で送金できるようになっている気がする。あと、政治の世界でも使途不明金が一掃されてクリーンになるんではないだろうか。5千万円の現金をバッグに入れて運ぶこともできなくなるだろうし。

補足

お金の電子化って電子書籍と似ていると思う。今の本の多くはデータとして原稿が作られていると思うが、紙の本の場合はいちいち紙に印刷してトラックで書く書店に配送して店舗に並べて読者に販売する。電子書籍を希望する読者は買った本を裁断してスキャナで取り込んで電子化(データ化)する。出版社が持っているのがデータなら、それをそのまま販売する方が出版社にとっても読者にとっても無駄がなくて便利だと思う。お金も現金にすることでいろんな負担や不便が発生しているのでそれをやめられないか、という話。技術的には可能になっている思う。