「変身」文化に終わりはあるか

でも、ぼくとしては、「いや、もう、「萌え」の時代は終わったよ」といいたい。

萌え文化よ、さようなら。 - Something Orange

それはブーム(流行)が終わっただけに過ぎないのではないだろうか。
「萌え」が作品の主要テーマになることは減るかも知れないが、これからも「萌え」要素は作品の幅を広めるための「脇役」として延々と使われ続けるように思われる。
なぜそう考えたかというと、日本のサブカルを代表する文化である「変身」文化がまさにそうだからだ。

「変身」誕生前

1956年にスーパーマンが、1958年に月光仮面がテレビ放映され人気番組となるが、変身によって超能力を得るのではなく、変装のために「着替える」という意味で「変身」が使われている。ただ、月光仮面については面白い逸話が多い。当初、時代劇を作成するつもりだったが、予算不足で作成できなかったので鞍馬天狗ベースの作品を作ることになったとか、仮面や覆面が多いのは代役を立てやすくするための苦肉の策だったとか。奇妙な叫び声をあげる愛すべきやられキャラ、戦闘員のイメージは予算の都合で誕生する。

「変身」誕生

1963年に科学者の孫が巨大化してナチス同盟と戦うという手塚治虫氏の漫画「ビッグX」が連載される。作品としての「変身」の登場はこれが最初らしい。
1966年にウルトラマンが放映開始。主人公は人間だがウルトラマンとの衝突事故により死亡。責任を感じたウルトラマンに命を貰い生き返り(この辺の理屈がなんとなく日本らしい)、以後、ウルトラマンに「変身」して怪獣と戦うことになる。ここで面白いのは、「変身」ありきで怪獣やウルトラマンが用意されたのではなく、考え方が全く逆だったということ。怪獣が売り物の「ウルトラQ」の続編として、人間の味方の宇宙怪獣と人間が協力して悪い怪獣を退治するという企画がまずあったが、味方が怪獣だとわかりづらいのでヒューマノイドタイプに変更、そして人間が「変身」するアイディアが生まれた。
そして、「変身」を明確に売りにした最初の作品である仮面ライダーは1971年に放映が開始される。

「変身」ブームと「萌え」の誕生

仮面ライダーのヒット以降、変身ものが乱立する。
1973年のキューティーハニーでは変身シーンで裸になるという革新的なアイディアを採用。
1975年には複数戦隊もののゴレンジャーが放映開始される。
その後、数多くの変身ものが生み出された後、1991年には「美少女戦士物」という新しいジャンルを確立したセーラームーンが登場する。「萌え」の起源にはいろいろ説があるらしいがセーラームーンもその一つらしい。


「変身」も「萌え」も飽きられて意外性がなくなり、マンネリ化し、形式化し、それでも更に「ネタ」として使い回され、そしていつか生まれるであろう新しい文化の肥やしになっていくのだと思う。