日本の英語教育のXデーはいつだろうか

今の20才くらいの人でも英語教育については自分と余り変わっていないし、現役小学生でも同じらしいことが、ネット経由で分かり、2つの相反する感情が湧いてきました。一つは日本人の英語アレルギーが続くことに対する安心感。もう一つは日本が問題を先送りし続けていることに対する不安感。

東京以外から転校生が来たら方言にどきどきして、フィリピン人や韓国人のお母さんのいるハーフの子が、日本語以外の言語をしゃべれることがすごいなと思った。
わたしは日本しか知らないし、知ってる日本は東京郊外のこの場所だけだ。


今年から小学校での英語教育が必須になるらしいのですが、半分以上の小学校は他の教科と同じように担任の先生が指導するようです。

小学校では、英語が来年度から5年生と6年生で必修化されます
(中略)
「中心となっている指導者」は、5年前、およそ60%が「ALTなど外国語の指導助手」と答えたのに対し、今回はおよそ66%が「学級担任」と答えていて、担任が指導する傾向が強まっていることが分かりました。

これは、今、中高で英語を6年間も学んでいるのになぜ多くの日本人が英語を話せるようなっていないか、まったく考えられていないように見える対応です。これでは英語嫌いを低年齢化させるだけでしょう。

上記の記事によると教科書は「英語ノート」が使われるらしいのですが、「ノート」という言葉を英語の授業で使うのは紛らし気がします。教科書なら"Text book"でしょう。なぜ「ノート」というタイトルをつけてしまうのでしょう。


今の状況から考えると、すぐに日本人が普通に英語を話せるようになるとは考えられません。でも、いずれちゃんとした英語教育を始めると思っています。また、英語を話しちゃんと教える能力のある人が英語を教えれば、ほとんど例外なく子供に英語の基礎が身につくと思います。そして基礎さえあれば、子供が勝手に英語を学習することもできるでしょう。


なぜちゃんとした英語教育を始めるかというと、英語は読めればいいとか書ければいいといった翻訳中心の学習では外国人と話ができないからです。話ができないと一緒に仕事ができません。日本人が他の人々より飛び抜けて優れているのでもなければ、事実上、公用語である英語でコミュニケーションが取れる人達と競争して勝てる理由がありません。いずれ、英文の意味を理解することと邦訳が同じではないこと、英単語を覚えることとその日本語訳を覚えることと同じではないことに気づいて、まともな英語教育を始めると私は考えています。その日を「日本の英語教育のXデー」と勝手に決めました。
「Xデー」後は日本でも英語を話せる人が徐々に増えて、やがて英語を話せないのは一部の年寄りのみになるでしょう。その時、自分が生きているかどうかは分かりませんが。




最近、iPhoneアプリGoogle 翻訳」を使っています。翻訳精度はあまりにも酷すぎて笑ってしまうほどなのですが、音声認識精度は高い気がします。

なので使う目的は、翻訳ではなく自分の英語の発音のチェックです。たとえば、

  • "light"
  • "right"

をちゃんと聞き分けて認識してくれました。ちなみにカタカナで「ライト」と言ったら"ditto"(同上という意味)に認識されました。
別の例では、

  • "I walk to work"

もちゃんと認識してくれました。これもカタカナで「アイ ウォーク ツー ワーク」と言ったら"I woke to walk"になりました。カタカナというか日本語には"r"音がないのでカタカナで話す限り"work"と認識してれることはなさそうです。こういうのを見ると、外国人が日本人のカタカナ英語を聞いて混乱するのが分かる気がします。