「Googleのどこがすごいの?」という問いについて


池田信夫 blog−グーグルという神話

ウェブ進化論』にしても本書にしても、グーグルが日本でこうも崇拝されるのはなぜだろうか。先日も、田原総一朗氏に「グーグルのどこがすごいの?」と聞かれて、答に困った。検索エンジンとしての性能は、今ではヤフーやMSNなどもそう変わらない。広告というのは卸し売りのビジネスなので、市場規模は限られている。日本ではGDPの1%、米国では3%でほぼ一定している成熟産業である。グーグルの時価総額インテルを抜いたというのは、かつてのライブドアと同じような「局所的バブル」である疑いが強い。


Googleのどこがすごいのか?」という問いにすぐに答えが見つけられなかった。
上記に書いてあることは正論だと思うし、「局所的バブル」という言葉もすんなり受け入れられる気がする。
しかし、「何かが違う」という気がしていた。
そして、ウェブ進化論の中に自分なりに答えになりそうな箇所が見つかった。


ウェブ進化論」のP.123で、以下の中島聡氏のブログを引用してOSのAPIGoogleウェブサービスAPIの違いについて言及しているが、これが「Googleのどこがすごいのか?」の答えにもなると思う。


Life is beautiful: Google OS を妄想すると未来が見えてくる!?

従来型のOSにおいては、そういったシステム・サービスは全て対象となるコンピューターそのものの上で実装されていた。そのため、そういったサービスで出来ることは、「画面に円を描く」、「現在時刻を知る」、「ハードディスク上のある音楽ファイルを探す」など、そのコンピューター自身が単独で提供できるものに限られていた。

一方、GoogleAmazon、Yahoo の提供するサービスは、「緯度・軽度で指定した場所の地図を表示する」、「シアトル・マリナーズが今戦っている試合の状況を取得する」、「今週の日曜日に渋谷で見ることの出来る映画のリストを取得する」、「スター・ウォーズ エピソードIIのDVDを購入する」、「過去、24時間以内に世界中で発生した地震の規模と震源の位置のリストを取得する」、「ワシントン大学のビルの上に設置されたウェブ・カメラの向きを変更する」、「自分と同じレベルのチェス・プレーヤーを探して、対戦の申し込みをする」などの、より我々の生活や仕事に密着した、実世界と関わりのある情報を取得したり、実世界にあるものをコントロールしたりするサービスである。


従来、OS(つまりコンピュータ)は、そのコンピュータ内に閉じた世界では全知全能だった。
API(つまりユーザの操作)は全てOSを経由する必要があり、それによって起きる事もOSの「手のひらの上」であった。
しかし、そのOSも一歩コンピュータ外に出ると全く無力であり、必要な情報は人がCD-ROMなどの媒体を使って与えてやる必要があったし、アウトプットもモニタやスピーカー、プリンター程度に限られた。


インターネットとそれを基盤とする様々なウェブサービスの登場は、従来型のコンピュータのイメージを一変させてしまった。
外の世界に対して全く無力だったコンピュータを使って、天気予報やニュースなどの最新情報を取得したり、物を買ったり、逆に自分から情報を発信したりできるようになった。
その象徴的なのが、Google Earthだったり、Google Newsだったりするのだと思う。
Google Earthは単なる地図ソフトとして考えてもインターネット以前(Google以前)だったら数万〜数十万円程度はするソフトウェアだっただろう。
それが、様々な機能追加も含めて無償で提供されてしまった。
Google Newsは従来人間にしかできず、報道メディアにとって特に価値があるとされていた編集作業が機械によって置き換えられてしまった。
(質やレベルの違いはあると思いますが。)
Googleがすごいと思っている人やその高い時価総額が表しているのは、これらのインターネットやコンピュータを基盤とした全く新しい機能やサービスを、Googleならば今後も開発しリリースしてくれるという期待なのだと思う。
検索サービスは今のGoogleを支える主要サービスの一つだが、それはGoogleの一面に過ぎない。
Googleがすごいのは常にウェブサービスの先端を走り続けていることと、これからも走り続けるという予感を抱かせてくれることだと思う。
(以前は期待以上だったけど、どうも最近はサプライズは少ないみたいですが。)



なお、「Googleのどこがすごいのか?」と質問されて、「そんなにすごくないよ」と答えても、たぶん、質問者の答えにはなっていないと思う。
おそらく質問者は、WEB2.0なり放送と通信の融合なりによって、漠然と現在の社会や価値観が変化する予感を抱いているのだと思う。
そして、将来を予測するための手がかりを得ようとして、Googleのことを知りたいと考えている気がする。
それなのに、「Googleはすごくない」と言われたら、誰が(どの企業が)今後のIT社会を占う企業になるのか、考えなければならなくなる。
Googleは全然すごくないし、社会も変わらないよ」と付け加えても良いが、あきらめて別の人に質問すると思う。


ちなみに、以下の様な記事を読んでいると、「社会が変わらない」とは思えない。


インターネットの普及がもたらした学習の高速道路と大渋滞

羽生さんは簡潔にこう言った。

「将棋が強くなるための高速道路が一気に敷かれたということだと思います。でも、その高速道路を走り切ったところで大渋滞が起きています」


404 Blog Not Found:^@アメリカの大学生の^Wネットワーキングの凄さ

どうしてこれほど急速に彼女は成長できたのか?大学に行かなかったからだ。Pugsが学位級どころか教授級の仕事であることは、コードを生業とする者であればおわかりいただけるかと思うが、彼女はそんなところで「遊んで」いなかったのだ。いや、実に真剣に遊んだというのか。


jkondoの日記 - はてなに入った技術者の皆さんへ

例えば最近 Audrey Tang という開発者が Haskell を使って誰も手をつけていなかった Perl6 の処理系を作り上げ、その仕事で高い評価を受けています。彼女が Haskell を勉強したのは恐らく随分以前だったでしょう。彼女が Haskell をマスターして方法論を身につけたあとは、ただひたすら Perl6 が動くようになるためにコードを書き続けているわけです。毎日毎日コードを書き続けるのです。それを何年間も継続したからこそ、世界の技術者が認める仕事になったのです。


404 Blog Not Found−専門家破壊も進行中

このバラグラフの主張、実は私も結構うなずくところはあるのだが、しかし池田氏も阿部氏も最も重要な点を見落としている。
(中略)
専門家の価値そのものが、破壊の対象となっている事実である。


社会の何が変わるのかは、まだよく分からないが、漠然と価値観の転換が起こりそうな気がしている。
学歴が以前ほど就職で効果を持たなくなってきたと言われているが、学校制度そのものが変わっていくかもしれない。
教育システムが変われば、人々の生き方も変わるし、社会も今とは違ったものになるだろう。