南京大虐殺を調べてみる

Non-Fiction : 30万人は捏造だろう、という説

この記事で数万だろうが30万だろうが虐殺という行為を行ったことには変わりはないという内容が書いてあった。ただ、虐殺自体が「中国側の捏造」という話もあり、せっかくなのでソースを確認してみることにした。基本スタンスは、「私は私が何も知らないことを知っている(I know that I know nothing.)」である。

南京事件

少し検索してみると、とても良いサイトが見つかった。

南京事件 小さな資料集

まず、これはタイトルに意図的な偏向がある。「小さい資料集」なんてとんでもない、膨大な資料を分かりやすく良くまとめている。このサイトの
日本人の著作に見る「南京事件」
軍人の発言に見る「南京事件」
を読めば、
 ・日本の軍隊の規律が乱れていて、統率がとれていなかったこと。
 ・(東京裁判前に)日本軍の中でも南京事件の問題が認識されていたこと。
 ・具体的な描写(一次情報)も少なくないこと。
が分かる。自分としてはこれで知りたかったことは十分に分かった。いくつか印象に残った項目を引用する。

小川哲雄氏「日中戦争秘話」より

  • 事変未解決の根本原因は日本人が真の日本としての行動をしていないからだ。略奪暴行を行いながら何の皇軍か。現地の一般民衆を苦しめながら聖戦とは何事か。大陸における日本軍官民のこのような在り方で、いったい陛下の大御心にそっているとでも思っているのか。

瀧川政次郎「新版 東京裁判をさばく(下)」より

  • 彼らの言に多少の誇張があるにしても、南京占領後における日本軍の南京市民に加えた暴行が相当ひどいものであったことは、蔽い難き事実である。
  • 南京市街の民家がおおむね焼けているので、私は日本軍の爆撃によって焼かれたものと考え、空爆の威力に驚いていたが、よく訊いてみると、それらの民家は、いずれも南京陥落後、日本兵の放火によって焼かれたものであった。
  • 南京虐殺は、この国民軍の頑強なる抵抗によって沸き立った日本兵の敵愾心にも一因がある。通州事件による中国兵による残虐行為が南京攻囲軍の将兵の間に知れ渡ったことも亦その一因である。しかしその最大の原因は、軍の統率が失われ、軍紀が紊乱したことにある。

花山信勝『平和の発見』より

松井石根
それから、あの南京事件について、師団長級の道徳的堕落を痛烈に指摘して、つぎのような感慨をもらされた。 

 「南京事件ではお恥しい限りです。南京入城の後、慰霊祭の時に、シナ人の死者も一しょにと私が申したところ、参謀長以下何も分らんから、日本軍の士気に関するでしょうといって、師団長はじめあんなことをしたのだ。

 私は日露戦争の時、大尉として従軍したが、その当時の師団長と、今度の師団長などを比べてみると、問題にならんほど悪いですね。日露戦争の時は、シナ人に対してはもちろんだが、ロシヤ人に対しても、俘虜の取扱い、その他よくいっていた。今度はそうはいかなかった。政府当局ではそう考えたわけではなかったろうが、武士道とか人道とかいう点では、当時とは全く変っておった。

 慰霊祭の直後、私は皆を集めて軍総司令官として泣いて怒った。その時は朝香宮もおられ、柳川中将も方面軍司令官だったが。折角皇威を輝かしたのに、あの兵の暴行によって一挙にしてそれを落してしまった、と。ところが、このことのあとで、みなが笑った。甚だしいのは、或る師団長の如きは「当り前ですよ」とさえいった。

 従って、私だけでもこういう結果になるということは、当時の軍人達に一人でも多く、深い反省を与えるという意味で大変に嬉しい。折角こうなったのだから、このまま往生したいと思っている」


花山信勝『平和の発見』P229)

この松井石根氏という人は、南京攻略の総司令官だった人である。ところで、この松井石根氏について、全く別の見方をしている記事がありましたので、参考に引用する。

国際派日本人養成講座−JOG(081) 松井石根大将

 しかし、清野戦術と便衣兵とで疲弊していた日本軍の一部に、「若干の暴行・略奪事件があった」憲兵隊から聞かされた松井は、必要以外の部隊を城外に出させた。
(中略)
 昭和21年、東京裁判が開かれ、松井大将はここから引き立てられ、聞いたこともない南京での「20万人以上の虐殺」の責任者として絞首刑に処せられたのである。その思いはいかばかりであったろうか。

上記の松井石根氏のコメントを読むだけでも彼が非常に責任感のある立派な人だったのだと思われる。上記の記事にもそれを裏付けるエピソードがいろいろ書かれている。南京での事件の責を彼に人に負わせるのは酷だとは思うが、だからといって虐殺を行った部隊の総司令官としての責任を免れるわけにはいかない。それをなぜ「聞いたこともない」と書けるのか理解できない。「国際派日本人養成講座」は良い記事が多いと思っていただけにとても残念だ。日本人がやったことを何でも良いことにすげ替えるのではなく、良いことは良い、過ちは過ちと認めることが大事だ。

その他の記事は「あやしい調査団南京へ 南京への道 南京大虐殺」というのがあった。「南京大虐殺を検証する」というツアーのレポートである。内容は中国軍の士気が低かったとか、撤退時に民衆から食料や金品を奪ったとか、「侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館」の展示品がお粗末だとかいう内容でいろいろ参考になる話もあった。なお、この記事でも「日本兵による強姦事件はたしかにあったようだ。」と書かれている。

通州事件−中国人による日本人の虐殺ー

また、中国人による日本人(および朝鮮人)の虐殺事件としては、通州事件というのがあるらしい。

消された「通州事件」

 「盧溝橋事件」の約3週間後に起こった、おそるべき虐殺事件についてご存知だろうか。北京の東にある通州というところで起きたこの「通州事件」は、今ではほとんど語られない。学校の教科書には全く出てこないし、多くの歴史書や年表にも殆ど載っていない。若い人たちは、事件の名前すら知らない人が殆どだろう。
 
 この通州事件というのは、昭和12年(1937)7月29日に起こった、中国人の保安隊による大規模な日本人虐殺事件のことだ。殺されたのは、通州の日本軍守備隊、日本人居留民(多数の朝鮮人も含む)の約260名で、中国兵は、婦女子に至るまで、およそ人間とは思えないような方法で日本人を惨殺した。

引用は避けましたが、惨殺のされ方についてかなり具体的な描写があり、気分が悪くなる。「南京事件 小さな資料集」にも「「通州事件」への視点」という記事がありましたが、「これに対し現在、通州事件を「南京大虐殺」と対抗させてとりあげる向きがあるが、両者はその規模も性格もまったく違うことを認識すべきである。」と書かれています。この事件は政府間の間では正式に解決しているそうですが、南京事件についてしつこく言及する中国側の対応を見ると、何か言いたくなる気もしてくる。

<追記:06.08.10>
Apemanさんから「中国人の保安隊」について指摘がありましたので、補足します。
「中国人の保安隊」とは、日本の支配化にあった「冀東防共自治政府」の保安隊のことですので、現地の保安隊による日本への反乱ということになります。当然、この保安隊は国民党政府とも現在の中華人民共和国とも関係ありません。ただ、中国人であることには変わらないので、「何か言いたくなる気もしてくる。」という言葉に繋がりました。(こういうのを「負の連鎖」というのでしょうか。)

GHQ、米兵による強姦

知らなかったのですが、GHQによる占領下で米兵による強姦が頻発していたとのこと。
キリスト公会−裁かれるのは誰か−従軍慰安婦連行のウソ−

占領軍が進駐した地域では慰安所があっても米兵によるレイプ事件が8月30日から頻繁に起りはじめました。基地周辺の家々は軒並み米兵に踏み込まれて、男たちは縛られるかピストルを突きつけられる間に女たちがレイプされるのです。

ゴーゴー福生−福生の夜へ
占領軍進駐直後の米兵による強かん事件捜査報告書

しかし、規律の乱れた軍隊のやることはどこの国も一緒なのだなと思う。
そういう意味で、統制がとれなくなっていた日本軍が南京を占領した時点で、あの結果は必然だったのだろう。