「なにはともあれ、世の中はおもしろいです。」グラフィックデザイナー 祖父江慎

アップル - Pro - 祖父江慎

アップルの事例集に祖父江慎さんという方がインタビューを受けていたのですが、ちょっと興味を持ったので別の記事を検索してみました。

グラフィック・デザイナーの仕事

01 祖父江慎/ブック・デザインとは?
  「本の内容に合う形をこの世に降ろしてくる巫女さんみたいな仕事です」

言われてみれば、なるほど、と思う。
普通、本の作者と言えば著者を思い浮かべる。他にはせいぜい、挿絵を描いたイラストレーターぐらいだが、装丁の仕事も立派な本の作者だ。どちらかと言えば、装丁の方が本を作るという意味で"本の作者"に近いのかも知れない。
にもかかわらず、amazonなどの紹介に装丁者が誰かなんて事は書かれていないし、気にする人も少ない。自分もそうだったし。


「知識ゼロと知識満杯とで同時に味わうんですよ」祖父江慎 : Mammo.tv >> 今週のインタビュー(1)
こちらのインタビューが内容が充実していてお勧め。

――では、本は好きだったんでしたか?
 どちらかといえば嫌いだったんですよ。高校生のときは特に。できれば本や受験から早く解放されたかったです。
 それに子供の頃は、明朝体の書体は怖くて気持ち悪くて、近くに置いておきたくなかったし、リアルな絵本は写真と区別がつかなかったし、写真集は、湿った違和感がありましたよ。学校で感想文を書く課題が出て、本を読んでみても、ストーリーがわからなかったんですよ。字は追えるけど、何のために文章が書いてあるのかわからないし‥‥。

本のデザイナーをやっている方のコメントとは思えないような話。
でも、「明朝体の書体は怖くて気持ち悪くて」や「写真集は、湿った違和感がありました」という感じは自分も子供の頃に感じたことがあった気がする。

――文字を追っても意味を結ばない?
 ひとつひとつの文章の意味はわかるけれど、それがいっぱいあっても、それぞれがバラバラでひとつのお話としてつながらなかったんです。じょじょに話としてのつながりが理解できるようになりましたけど。だけどこんどは、その話と自分との関係がよくわかりませんでした。
(中略)
試験で「カッコの中を埋めなさい」という問題の意味もよくわかんなくて、文章としてつながってればいいんだよなって狭いスペースに文字いっぱい書き込んじゃったり。出題者が何を望んでるのかがわからなかったんですね。しょうがないね〜。
 ほんとに他人の意向ってのがどうも理解できなかった。学校の先生の作ったテストはいいとして、印刷されて売られているドリルとかやるときは、この問題って、いったい誰が僕に聞いているんだろう?とかって。

こういう話を聞くと、やっぱり"文章"というのは不自然なモノなのだと思う。
"文章"や"文字"は口で話す言語が無ければ存在しなかったが、"文字"は言語から"意味"だけを切り出してしまった。何かを"話す"ということは、話をする"話者"、話を聞く"聴衆"/"聴者"?、その時間、その場所が必然的に決まる。ところが、文章化するとそれらの情報の一切がなくなってしまう。
こう考えると、普段、自分はいったいどうやって文字を読み、何をどう理解している(と思いこんでいる)のかと不思議に思えてくる。本当に"文章"の意味を理解しようとしたら、これらの文章するときに欠落してしまった情報というのは不可欠とさえ思える。
祖父江さんは子供の頃から、こういった違和感を感じていたんだろうなと思う。

「知識ゼロと知識満杯とで同時に味わうんですよ」祖父江慎 : Mammo.tv >> 今週のインタビュー(2)

──自分の将来については、考えても仕方ないと思いますか?
 自分の将来について想い描くことは大切で、それがなくっちゃ始まらないと思うんです。だけど、その夢に向かって脇見もふらずに突進してたんじゃダメだと思うんです。途中で乗り換えてもいいし、やめちゃってもいい。道草もすてき。自分の未来を描いて、うっとりするくらいで止めといたほうがいいのかも。ダメならダメで良しって。
 大人になって、自分が思い描いた仕事に就いている人って、きっと少ないと思うんです。どこか近い仕事をしてる人もいるし、まったく不向きな仕事をしてる人もいる。だけど食べていくためには、不向きだからって仕事を止めるわけにもいかない。でも、向いてないと思いながら仕事をいやいやしてる人は、会社などの経営者側からすると迷惑だしね。誰だって、うれしい方がいいに決まってる。
 大切なのは、どんな仕事をやってても、がんばっちゃえるワクワクだよね。「いいよな」と思えるかどうか。
 それと、どうしてもワクワクできない仕事であったときに脇道にいける勇気だよね。自分が学生時代に夢見ていた未来像と現実とのギャップがあってもへっちゃらな精神力だよね。自分の未来を自分でガチガチにしばっちゃダメだよ。希望は、低くていい。

なんだから、とても説得のある内容。
将来、行き詰まった時に読み返したいかも。

──本のデザインをしていて、おもしろい発想が浮かぶのもそんなときですか?
 おもしろいかどうかは、わからないですが、発想というものは、考えちゃいけないんです。考えたり企画を立てたりすると、内容が遠のいて、別物になりがちです。それよりも内容や著者に感銘できるかどうかが大切です。形は、作るんじゃなくて最初からあるものなんですよ。それを具体的におこすだけです。

(強調は引用者)
「形は、作るんじゃなくて最初からあるものなんですよ。」は「本の内容に合う形をこの世に降ろしてくる巫女さんみたいな仕事です」に繋がる話かと思う。この言葉はデザインだけじゃなく、いろんなことに当てはまりそうな感じ。

なにはともあれ、世の中はおもしろいです。未来のことばかり考えたりしないで、今日をワクワク過ごしてほしいですね。ステキなことや予想外のよろこびが、未来では待ち受けてますよ。未来って、努力して進んでいくものじゃあなく、なんだかやってきてる“現在”みたいなもんですよね。「明日」を経験した人っていないもんね。

(強調は引用者)
「大切なのは、どんな仕事をやってても、がんばっちゃえるワクワクだよね。」や「たとえ石ころひとつを1日中見てろと言われてもへっちゃらですよ。」の言葉の根っこには、「なにはともあれ、世の中はおもしろい」という信念があるんだと思う。会社を作って、代表をやって、新しいことに挑戦し続けているのだから、"嫌なこと"は普通の人の何倍も経験していると思う。それなのに「なにはともあれ、世の中はおもしろい」と言ってしまえる懐の大きさというか心の強さが、この人の凄いところなのかも知れない。

参考

bungsplatz〔仮〕ー祖父江慎 インタビューほか
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