秋葉原が目指すのは普通の街か、それとも新しいアキバか

神聖マルチ王国さんは、秋葉原ホコ天でコスプレ女装をした男性が警官に怒られたことに対して、そういう怒られるようなことをする人達を強く非難しています。理由は「キモくて見苦しい」「あんな汚い女装に下手糞なダンスをしている」「文化的な側面が、彼らの行動に見出せない」「彼らの行動は全部自己満足で行動に必然性が無い。」「秋葉原でやる必要もないし、オタ芸である必要もないし、汚い女装をする必要もない。」などですが、私も秋葉原でそういう格好の人を見かけたことがあるので、気持ちはなんとなく分かります。
ただ、思ったのは、この自己満足な人達もそれに怒る警官もキモくて見苦しいと思う人達も、みんなが満足するような方法を探せないものだろうかというです。例えば、ルールを決めて、ある時間と場所の範囲内で好きなパフォーマンスを行えるようにすることは不可能ではないと思います。もし、それが実現すれば、自己満足な人達は警官の陰に怯える必要がなくなりますし、警官は”違法なことを行う人”が合法化されるので安心して職務を全うできます。また、「キモくて見苦しい」については、パフォーマンスが合法化されることで、改善していくのような気がします。ネットの情報は玉石混交と言われますが、今回のことも数が集まれば内容が洗練され、「石」はいなくなっていくと思います。

ITmediaの記事には

街の様子を眺めれば、ラジオからオーディオ、家電、そしてPCへと受け継がれてきた秋葉原の“看板”が、萌え産業に移りつつあることを実感できる。

“メイドさん”の現在と未来 (1/3) - ITmedia PC USER

と書かれていますが、秋葉原の看板(主要商品?)は時代とともに移り変わってきました。逆に看板を変えることで生き延びてきたとも言えると思います。オーディオブームが去った後は家電。全国に家電量販店が普及し始めればPC。PCが普及すれば、萌えへと、世の中のニーズを先駆ける形で街の顔を変えてきたと思います。たぶん数年後には萌えも下火になるでしょうが、次の看板が何になるかは今は誰にも分かりません。分かるのは必ず看板が変わると言うことだけです。
たぶん、今でもオーティオや家電を買いに秋葉原に来ている人は少なくないでしょうが、堂々と掲示されているアニメ系の看板を「キモくて見苦しい」と思っているのではないでしょうか。普通の街ではそういう光景はないでしょうし。「秋葉原」という普通じゃない街だからそういうものがあるのも仕方がないと思っている気がします。秋葉原は、そういうマニアな層のニーズに応える商品を提供することで発展してきたのですから、当然、万人に受け入れられることはありません。だから、「キモくて見苦しい」自己満足な人達も、秋葉原という街の、一つの可能性かもしれず、だからこそ、安易に否定したくないと思っています。
何となくですが、今のアキバブームが去った後の秋葉原は、行政が描く「IT産業の拠点」に近づいていく気がします。今まで消費者主導の街として発展してきた秋葉原が突然割り込んできた行政の思い通りになるのは面白くないですし、それを黙って傍観しているだけというのも、つまらないので今回のエントリーを書いてみました。



何でも良いのですが感情の赴くままに何かを否定することは簡単です。完璧なモノや人はいませんから、批判する理屈はいくらでも考えられると思います。でも、短絡的な批判では何も得られません。それなら、発想を変えて、誰もが満足できるアイデアを考えた方がよっぽどマシな気がします。同じ時間、脳みそを使うなら、ただ文句を書くだけよりも、あるかも知れない解決策を探した方が有意義でしょう。

Bigbangさん経由、テクノロジー : 日経電子版によると「米のブロガーは本当に世の中を変えてやろうと思って、ブログに意見を書いている。」そうですが、本当だろうかと疑問に思っています。世の中を変えようとしてブログを書くというと、何か理想主義者や宗教家のような印象を受けてしまいます。推測ですが、実際には自分が思ったことをただブログに書いているだけの様な気がします。ただ、米国のメディアがブログの影響を受けているので、端から見ると、世の中を変えているように見えているだけではないでしょうか。だから、日本でもブログが世の中に影響する可能性はあるはずで、そうであるなら、少しでも自分が良いと思える方向に近づけるように、ブログを使っていきたいと思います。