偶像と詐欺師

先日、有名かつ好感度の高いアイドルグループの一人が公然猥褻容疑で逮捕されたというニュース記事ではてブが埋まっていて驚く。
その中の記事の一つでは、この逮捕された某氏に50億円もの損害賠償がされるかも知れないと書かれていた。どうもCMやら映画やらテレビ番組やらが放送できなくなったことの損害をこの某氏に負わせようという話らしいのだが、自分たちで勝手に放送を自粛するのに損害というのは話がおかしいだろう。
この某氏は国のテレビ放送をアナログからデジタルへ変更する宣伝・啓蒙活動の「普及推進のキャラクター」を務めていたのだが、国の放送事業を監督する立場にある某大臣はこの某氏に対して「絶対許さない」と怒りをあらわにしたとのこと。ここで私にはどうしても解せない疑問が沸く。テレビ放送の方式変更と某氏の品位や立ち居振る舞いとどういう因果関係があるのか。たとえば、某氏の好感度上昇に比例してデジタル放送の価値が上がり、逆に某氏の低俗な行いによってデジタル放送の価値が下がるのであれば、某氏の軽率で低俗な行いによってデジタル放送の価値が損なわれたと言えるかも知れない。しかし、実際にはそんなことはあり得ない。
つまり、間違いの元をたどれば、デジタル放送の価値と某氏の好感度を結びつけて、デジタル放送の普及を促進しようとしたこと自体が間違っていたことになる。

「詐欺」「詐欺師」を辞書で引くと以下のように書かれている。

人をだまして錯誤に陥らせる違法な行為。だますとは真実でないことを真実だとして表示する行為であるが,場合によれば沈黙もこの行為になる。

詐欺(さぎ)とは - コトバンク

詐欺を常習とする者。かたり。いかさまし。

詐欺師(サギシ)とは - コトバンク

某氏の知名度や好感度とは直接関係のないデジタル放送をいかにも関係があるかのように視聴者に見せかけて、視聴者にデジタル放送機器を購入させようとする行為はまさに詐欺師の技のように思える。某氏も一人の人間であろうから良い面、悪い面の両方があるだろうし、何かの事件や事故に巻き込まれることもあるだろう。ありもしない因果関係を捏造しておきながら、いざ、期待した効果が得られない自体になると「絶対許さない」とか「損害」とか口にするのは盗人猛々しいというものだろう。


もし本当に紹介・提供しようとするものに価値があるのであれば、素直にその価値を説明すればよい。価値がないのにあたかも価値があるように見せかけようとするから話がおかしくなる。人心を操る上で誰もが知っていて尚かつ自分たちの自由になる「偶像」という存在は便利なので昔から使われていた。それは「神」と呼ばれたり何らかの「思想」だったりした訳だが、たいがい陸な(ろくな)結果にならない。「偶像」が欲しいのであれば管理が難しい「人間」ではなく、民間企業がやっているように「キャラクター」にすれば勝手に酔っぱらって馬鹿をすることはないだろうから、リスクが低かっただろうが、まあ、手間/暇と効果を天秤にかけて欲が出て判断を誤ったのかも知れない。


デジタル放送の問題であれば、こんな「イメージキャラクター」の話よりも某民間企業(仮にBカス社と呼ぶ)が何の法的な後ろ盾もなくデジタル放送市場を独占的に支配して競争を阻害し、結果、受信機メーカーが国内企業からしか提供されず消費者が損害を受けていることの方がよっぽど大きな問題だと思うのだが、放送事業を監督する某大臣はどう考えておられるのか。


なお、「このエントリはフィクションであり、実在の人物・団体等とは一切関係ありません」。この表現を以前から一度使ってみたかったのだが今まで機会がなかった。どんなに似ていようとも某氏はあくまで某氏であり、某団体も某団体である。