ゲームの力

子供の頃はゲームに夢中になっていたとしても多くの人は大人になるとゲームで遊ばなくなります。たとえ、ゲームを続けていたとしてもあまり親密でない人とはそういう話はしませんし、ましてや履歴書の趣味欄に就職先がゲーム関係の場合を除いてゲームと書く人は普通いないと思います。しかし、個人的にはゲームにはもの凄い力があると考えているので、今回はその辺の話を書いてみようと思います。

もくじ

残念ながら長くなってしまったので目次を作ることにしました。

  • 「なぜ任天堂を除外するのか」スレ
  • 任天堂と他のゲームメーカーとの違い
  • ゲームとは何か
  • ゲームの共通点
  • ゲームの力
  • 最後に

「なぜ任天堂を除外するのか」スレ

最近まで2ちゃんねるのゲーム・業界板(通称:ゲハ)に「なぜ任天堂を除外するのか」というスレッドがありました。2ちゃんねる内でも商業メディアでも、任天堂を除外してゲーム業界を分析したり語られたりすることがたびたびあったため、時々、見ていたのですが今はdat落ちして見ることができなくなっていました。

120 :名無しさん必死だな[sage]:2009/09/17(木) 10:39:38 id:NQXv08rX0
TOYOTA除外して自動車業界語ってみっか?
アップル除外してデジタルオーディオプレーヤー語ってみっか?
○○を除外して〜なんて実にガキ臭いゲーム業界らしいな


126 :名無しさん必死だな[sage]:2009/09/17(木) 10:43:02 id:pTLFIRyvO
>>120
ゲーム業界じゃなくて一部のキチガイユーザーだろ。
いくらなんでも、業界関係者で任天除外なんて言ってるやつはいないだろう。

……(´・ω・`)いるの?

ゲーム業界を語るときに任天堂を除外することは、よくあります。

多極化への対応に日本企業が苦戦していることを示すよりわかりやすいデータは、日本の大手ゲーム会社の海外売上高比率である。任天堂を除く大手6社の08 年度上半期の売上高は、どこも国内が75%以上を占めている。バンダイナムコ(76.8%)、スクウェア・エニックス(86.6%)、コナミ(74.8%)、カプコン(80.1%)、セガサミー(82.7%)、コーエー(91.8%)、テクモ(89.6%)という状況だ。時期により若干の変動はあるものの、海外比率はまだまだ低い。

日本のゲーム会社が直面する「多様化と多極化」 デジタル家電&エンタメ−最新ニュース:IT-PLUS

そんな感じで,いい事ばっかりな気がするハリウッド式なのですけれど,日本のゲーム会社は,なぜかあまり採用していません。

4Gamer.net ― 【島国大和】「ハリウッド式」ゲーム制作について考える

任天堂は1999年に発売した「ポケモンスナップ」というゲームの開発は、「ジャックと豆の木計画」という名称の一般公募で開発者を集めています。募集文が逸品なので是非リンク先を読んでみて欲しいと思います。任天堂は1990年代にすでに「ハリウッド式」を試みている訳です。また、上記記事にも書かれていますが、その後も何度か任天堂は一般公募方式で開発者を集めています。

アメリカに勝ちたい、優位になりたいなら、まず世界市場をマーケティングして、バリバリに英語圏に向けて、がっつり予算かけて売れる物を作るしかないわけ。そもそもプレイヤー人口で差があるんだから。

日米ゲーム開発の差はスクリプトなんかじゃぁないよ。:島国大和のド畜生

任天堂の前社長 山内溥さんは市場調査は不要と言っていました。そして、マーケティングからはDSやWiiのような良い意味でユーザーの期待を裏切るようなゲーム機は生まれていなかったと思います。

市場調査? そんなことしてどうするんですか?
――なるほど、その結果に基づいた商品を開発したときは、ユーザーの気持ちは離れているということですね
たしかに、そういったタイムラグという問題もある。でもね、任天堂が市場を創り出すんですよ。調査する必要などどこにもないでしょう

山内語録

編: 日本のゲーム業界が今しか考えていないというのは大変厳しい意見ですが、頷かざるを得ない側面もあると思います。

【CEDEC 2009特別企画】東大名誉教授原島博氏特別インタビュー - GAME Watch

現行世代ゲーム機、PS3/Xbox360/Wii/PSP/DSにおいて海外メーカーの機種はXbox360だけです。そして、十字ボタン、振動コントローラ、携帯ゲーム機等々、新しい技術で世界のゲーム業界を引っ張ってきたのは任天堂です。上記質問に対して、ハード/ソフトの関係について批判していますが、任天堂には当てはまりません。


今や任天堂は世界のゲーム業界において主要プレイヤーになっているので、任天堂を除いて日本のゲーム業界を語ることはできません。

155 :名無しさん必死だな[sage]:2009/09/17(木) 10:56:14 id:jXe60fq50
任天堂はゲーム業界から除外!
トヨタは自動車業界から除外!
JR東日本は鉄道業界から除外!
パナソニック白物家電業界から除外!
シャープはLCD業界から除外!
マブチモーターはモーター業界から除外!
日立と東芝と三菱とGEは重電業界から除外!
ジブリとディズニーはアニメ業界から除外!
マイクロソフトはPCソフト業界から除外!
インテル半導体業界から除外!
ヤマハは音の業界から除外!
アップルはデジタルオーディオ業界から除外!
セブンイレブンは小売業界から除外!
山崎製パンは食品業界から除外!


スレの中では結局、結論らしい結論は出なかったのですが、後半の方で同意が多かったのはスレで真っ先についた次のコメントでした。

2 :名無しさん必死だな[]:2009/09/17(木) 08:01:53 id:ijDOvcXE0
勝てないし

ポイントは「なぜ勝たなければならないか?」ということだと思います。ゲーム機を販売しているメーカーはマイクロソフトソニー任天堂の3社しかなく、据置機で世界の約半分シェアを任天堂Wiiが、残りをマイクロソフトソニーが分け合っています。つまり、勝てていないのは、マイクロソフトソニー、またはその両方と言うことになります。この結果には単に各ゲームメーカーのファンのいがみ合い以上の意味があります。と言うのは、勝っているWiiのCPUのスペックは「Wiiはゲームキューブにリモコンくっつけただけです。」の通り前世代のゲーム機レベル、対するXbox360PS3は高い処理能力を持ち、その違いは明らかです。ゲーム機の競争軸がハードスペックの向上を前提にした画質・性能から別の軸に変わったことで、従来型のゲーム機が体感型ゲームに負けたわけです。両社もそういう認識があるから、それぞれで体感型コントローラを発表しています。
これらのことが意味するのは、これまで主流だった高画質・高性能を売りにしたゲームソフトの相対的な価値の低下です。少なくとも従来型のゲームはすでに主流とは呼べなくなりました。今年末には従来型ゲームの代表格であるFF13が発売されますが、現時点においてさえ世界で2000万本以上売れているWiiFitを超えられるとは思えません。
結局、任天堂を除外しないと、これまで主流だったゲームソフトがことごとくニッチ、もしくは1ジャンルに成り下がり、低スペックのゲーム機が主流という価値観のコペルニクス的転回を受け入れるしかなくなるのです。
また、「日本のゲーム業界は〜」と語ろうとする時、任天堂だけが当てはまらない事例がいろいろ出てきます。「高画質と高スペックを追及して開発費が高騰」や「主流は据置機から携帯機へ」とか「ゲームをすると暴力的になったりコミュニケーション能力が育たない」など、任天堂を除くと当てはまる事例がいくつかあります。任天堂がマイナーでニッチを狙っているような企業であれば除外しても不自然ではないでしょう。しかし、実際には世界最大のゲーム機メーカーでですし、従業員一人当たりの利益で換算すると世界最大になるということが以前にニュースになっていました。そんな業界を代表する企業を除いて業界を語ることは余りにも不自然です。それこそ、トヨタを除いて自動車業界を語るようなものです。

任天堂と他のゲームメーカーとの違い

任天堂はもともと花札を作っていましたが、トランプも作り始めました。しかし、世界最大のトランプメーカーを実際に目の当たりにしてショックを受けます。

世界最大のトランプメーカーである「USプレイングカード社」の視察が主な目的だった。
「どんな広大な敷地が現れるか」と、期待に胸を躍らせて車の窓から外を見つめていた青年社長の前に現れたのは、ただのちっぽけな中小企業でしかなかった。この時山内は、『カードを業にする限り、世界一でもこんなもんか』と、大きなショックを受ける。

プレイングカード時代:任天堂のフィロソフィー

その後、試行錯誤の末、電子機器を使ったゲーム機に行き着き、やがてDSとWiiが誕生します。これまでもこのブログで何度か書いていますが、任天堂の事業内容は「家庭用レジャー機器の製造・販売」であって、「レジャー機器」であれば花札やトランプのようなカードゲームでもよいわけです。ただ、人々が飽きやすいことを知っているので、今の主流の製品が永遠に続かないことも自らの経験として知っています。
今、売れている製品が将来も売れるとは限らない。と言うか将来売れなくなることは分かっているが、何が売れるかは分からない。そういう時は新しい試みと挑戦を繰り返し続けて将来の飯のタネを探すしかありません。Wiiリモコンという画期的なコントローラを作ることができた理由を任天堂自身は「人と違うことをするとみんながほめてくれる会社」だったからと言っています。

竹田 「任天堂だから」というのを違う言い方をすると、
任天堂というのは、人と違うことをすると
みんながほめてくれる会社なんですよ。
人と違うことをしようとしたことに対して、
いろんな人がいろんな形で応援してくれて、
ハードルを乗り越える手伝いをしてもらえる会社だと思うんです。
それが今回のWiiのチャレンジを可能にしたのかなと思いますね。

第1回「両手で持つことすら、リセットしてもいい」: 社長が訊くWiiプロジェクト

今の任天堂の礎(いしずえ)を作った横井軍平さんはゲームのカラー化について次のように語っていました。

面白さはカラーである必要はない。例えば碁盤を見て、ある人が碁を考えついた、「これは新しいアイディア」だと。これで将棋もできると考えたらこれも新しいアイディアなんですよ。オセロもできるとかチェスもできるとか。これがゲームの考え方なんです。しかし、これ以上新しいことを考えられなくなったから、何かないかなって。そしたら「えい、碁の白黒が地味だから赤青にしよう」と、これが今カラーがついてるのと同じなんですよ。赤青になったら白黒よりは奇麗かな、と思うけどゲームの本質は何も変わっていない。

なぜ「横井システム」はすごかったのか?|モバイルおやじ

日本ではコマンド入力式のRPGゲームに根強い人気があり、少数の大作の続編が売れ続ける状況が続いていますが、極論すると将棋のルールを変えずにコマのデザインや世界観を変え続けているだけのようなものです。
喩えば、ある会社が「将棋」というゲームを発明し大儲けをしたとします。他の多くの会社も儲けたいと考えてコマをより豪華にした将棋を発売しヒットさせます。最初はよりデザインにこだわり、次は材質を木からより高価な銀や金へとグレードアップしていきます。最初の企業はコマを豪華にするのではなく「はさみ将棋」や「まわり将棋」といった子供だましとも見えるゲームを発売し業界の主流から外れていきますが、ある日、公園を作り始めます。理由を聞くと、「将棋は興味を持つ人が限られていてルールを憶えるのが大変だが、公園なら誰もが好きなように遊べる。ベンチを作れば今まで通り将棋も出来る」という返事が返ってきます。
いい喩えかどうか分かりませんが、自分には今のゲーム業界の状況はこの将棋と公園の例のように見えます。

ゲームとは何か

任天堂を含むゲームメーカーは遊ぶための道具を作っています。この「遊び」というものがそもそも何なのかを調べてみると、1000年ぐらい前から議論になっていてまだ答えが出ていないそうです。以下は「遊びの本質と保育活動」という論文から引用です。

それでは遊びとは何であるか。学問の各分野では以前から多くの人々によって遊びが論じられてきました。遊びの本質を理解する上で参考になりますので、大きな流れを整理してみます。(次項の一覧表参照)
古くは1000年くらい前から問題にされていたらしいのですが、大体のまとまりをみせたのは19世紀のおわりごろです。
(中略)
概観して言えることは、それぞれの理論づけは、その時代精神を何かの形で反映していると思われることです。おそらくその時代には、それなりに説得力をもっていて定式化されたであろうとみられます。世の中が複雑になるにしたがって人間のとらえ方も複雑になり、これ等の理論は遊びという活動のうちのごく限られた側面にしか通用しなくなっていることはわかります。しかし全く見当ちがいになったものはありません。それぞれにあてはまる一面をもっているのです。


自分としては「遊び」の定義として次の説明が一番納得できるものでした。

「遊びの本質には快感があり、その意味が何であるかは定義できない。楽しければ何をやっても遊びであり、楽しいと思うことこそが遊びである」と述べた。

セガ小口氏が基調講演、「『あそびをつくる』……その本質とは」 「欲求」から考える面白いゲームの作り方

問題はこの定義からするとつまらない遊びは遊びではないと言うことになります。たとえば、社長自らがクソゲーと公言している黄金の絆」や単なる作業となってしまっていて楽しくないゲームは遊びではなくなってしまいます。


もし、ゲームが遊びでないなら、いったい何なのか。以前に読んだ記事で結構納得した内容があったので、改めて読み返してみたのですが、今は違和感がありました。

遠藤氏:
 そういえばこのあいだ,「ゲームの本質とは何ですか?」と質問されたので,「インタラクティブな要素があって満足感が得られるもの」は,全部ゲームだと思っていると答えました。

あの“ゲームの神様”遠藤雅伸氏がMMORPGに言いたい放題。「ドルアーガの塔」からケータイゲームまで,存分にどうぞ

この説明がゲームの本質とは思いませんが、最初に読んだ時は定義としてはこの通りだと思いました。しかし、やはり「面白くないゲーム」はあてはまりません。そこで、クソゲーを含むあらゆるゲームの共通点を考えてみました。

ゲームの共通点

おおよそゲームと呼ばれるものには必ず問題や課題があります。代表的なものは悪人にさらわれたお姫様だったり、地球を侵略する宇宙人だったり、世界を破滅させようとする邪悪な神様、あるいは対戦相手などです。そして、プレーヤーにはその問題を解決するための手段が与えられます。しかし、簡単には解決することは出来ません。あるものはタイミングに合わせて絶妙なキャラクターの操作を要求されたり、雨あられと降り注ぐ敵の弾丸を回避しながら多くの敵機を破壊し続けなくてはならないもの、ゲーム中の人々の話から謎を解き必要な道具を揃えなければ先に進められないもの、時間をかけて何度も何度も様々な敵と闘い経験値を貯めて自分のキャラクターを成長させなければならないものなどいろいろありますが、どれも簡単ではありません。簡単ではありませんが、最初はできなかった操作が何度も繰り返すことでできるようになり、試行錯誤の中から答えを見つけることが出来るように作られています。言い方を変えると、ゲームとは問題を解決する一連のプロセスとも言えます。あるいは、できないことをできるようにするための一連のプロセスです。多くの人はお金を払って問題を抱え込みたいとは思わないので、問題解決のプロセス自体に面白さという価値があるように作られています。問題と解決方法だけで面白くないゲームがクソゲーです。次の項で説明しますが、この面白さという観点は、これまで問題・課題解決を妨げてきた大きな要素であり、見過ごされてきた要素でもあります。
問題があってそれを解決する/クリアするゲームがこれまでにたくさん作られてきました。シューティング、RPG、アクション、シミュレーション、格闘ゲーム、スポーツなどなど。しかし、そろそろネタが尽きてきたわけです。新しいストーリーはおそらくいくらでも考えることはできるでしょうが、ストーリーが変わっても、やることが同じなのであれば面白さは半減してしまいます。
しかし、ネタが尽きたことについて、別の見方をすれば、「できないこと」を楽しく「できるようにする」方法のアイデアがほぼ出揃ったとも言えます。

ゲームの力

私たちの身の回りには問題が山積みしていて、困っている人がたくさんいます。「問題」はそれらのたくさんの多種多様な問題をどう解決すればいいのか明確な答えがないことです。書店に行けばたくさんの問題解決方法が書かれた本が売られています。その解決法が正しいなら、たとえ時間がかかっても実行すればいいだけです。時間がなかったりお金が足りなくて、あるいは気が乗らなくて実行できないのであれば、その解決法が間違っているのです。
はてブで以下の記事が人気になっていたので読んでみましたが、とても分かりやすくかつ興味深い内容でした。

ご自分の仕事を考えてみてください。あなた方が直面している問題は、あるいは私たちがこの場で議論しているような問題は、こちらの種類でしょうか? 明確なルールと1つの答えがあるような? そうではないでしょう。ルールはあいまいで、答えは――そもそも存在するとしての話ですが――驚くようなものであり、けっして自明ではありません。ここにいる誰もが、その人のバージョンのロウソクの問題を扱っています。そしてロウソクの問題は、どんな種類であれ、どんな分野であれ、If Then式の報酬は――企業の多くはそうしていますが――機能しないのです

やる気に関する驚きの科学

アメとムチ、報酬とペナルティの方法はゲームでもよく使われているゲームの基本的な方法です。そしてそのメリットとデメリットはゲームを作る側も遊ぶ側もよく実感していると思います。だから、面白いゲームは単純な報酬システムではなく、問題解決のプロセスの中に楽しさや面白さ、驚き、達成感などが得られる仕組みを組み込んでいます。なお、ゲームによってはアイテムの入手頻度を低く(出現頻度の低い敵を倒すと稀(まれ)に入手するなど)することで面白さというか中毒性を高めるものもあります。パチンコ・パチスロなどと同じで射幸性・ギャンブル性は古典的で効果的な方法ですが、良い方法とは思えません。良い面があるとすれば、偶然に期待するな、ということを教えてくれることだと思います。


また、次の記事では組織が問題を解決するに当たって、目的意識と目標設定が重要だと言っています。

職場の場合は、日誌でも、メールでも構いません。文字に残しながら、かかわることで、行動を起こさせる仕組みができればどちらでもいいんです。
そして2週間に1度の集まりでどこまでできているかを検証して、さらに次の2週間でどうするか考えてまた文字にしてコミットしてもらうのです。こうしてコミット、行動、検証にリーダーや上司が細かくかかわりながら、習慣にします。

組織をつぶす上司「すさみの3原則」:日経ビジネスオンライン

ゲームでも目的・目標は明確化されています。やる気・モチベーションを維持して何らかの行動を起こす、続ける場合に目的・目標が重要なことをよく理解しているからです。初期のゲーム、たとえばドンキーコングは上から転がってくる樽をかわしながら上に登っていくだけのゲームです。ゲームの内容だけで考えれば、ドンキーコングもヒロインも必要ありません。そういうシチュエーションが用意されているのは、目的・目標の明確化、プレイヤーの動機付け、ルールを簡単に理解できるようにするためです。
多くのゲームではステージが用意されていて自分がこれまでにどこまで進んだか、もしくは進んでいないかが分かるようになっています。あるいはRPGのレベルは強さを数値で見えるようにして、達成感を可視化しています。上記の引用記事では目標やその結果をまわりの人に宣言(口答やメーリングリストなど)することが重要と言っていますが、ゲームではそれをシステムにうまく組み込んでやる気を維持したり高めたりしています。


多くの人が抱えている問題の中で、やらなければならないこと、やった方がいいのは分かっているんだけど、なかなか手が付かないという種類のものは少なくないと思います。

最初の記事は理想と現実のギャップが仕事を先送りさせる原因だという内容、二つ目の記事は評価基準を作品の質と作品の量(作った作品の合計の重さ)の2つのグループに分けた場合には「量」グループから最も質の高い作品が提出されたという内容、三つ目の記事は絵が上手くなりたいなら高望みせずにまずは自分が描ける絵(図形)をたくさん描くことから始めるのがいいよという記事です。
基本的にゲームはやる必然性がありません。ゲームをやらなくて怒られることはありませんが、ゲームをしていて怒られることはよくあります。また、ほとんどのゲームは実益がありません。音楽が聴けたり動画を観ることもできますが、家電と比べると見劣りします。それでも、少なくない人がゲームをするために万単位のお金を支払って、けっこうな時間をゲームに使っています。
やらなければならないこと、やったほうがいいことはせずに、得るもののないゲームにお金や時間を使う。一見、おかしいように見えますが、簡単に言うと「面白さ」「楽しさ」が原因です。人は意識的・無意識的に「不安」「恐怖」よりも「楽しい」を選ぶように出来ているんだと思います。逆に、実益のないゲームは「楽しさ」についてのノウハウをたくさん持っています。人が何を面白いと感じ、何に不満を持つのか。また、不満を満足に変えるにはどうすればいいのか。何かを理解してもらい何らかの行動してもらいたい時にどう誘導するのが、抵抗なく、積極的にそうしてもらえるのか。それらのノウハウはゲーム内でしか通用しないテクニックではなく、あらゆる場面で通用するものです。ニンテンドーDS任天堂製の実用ソフトは、これまでのゲームソフトと同様に始めるためのしきいを低くしやる気を維持させるための基本的な方法論・セオリーが守られていました。(サードパーティの実用ソフトをいくつか買ったこともありますが、いずれも本の内容を単純にゲームに置き換えただけの内容だったので、本と比べるとゲームの方が読みづらく価格も高価でした。また、なぜかミニゲームがついていました。)
ゲームがテレビや本などの他のメディアと大きく違うのは、解決法を説明するだけでなく実際の解決まで誘導することができ、プレイヤーを誘導する豊富なノウハウを持っていることです。任天堂はこの点をよく理解し実際に活用しています。

岩田 飛行機の時間が迫っているのですが、どうしても言いたくなったので言わせてください。ビデオゲームは「つまらないことを楽しく人に続けてもらう」ということについて、ものすごくノウハウがあるものだと思うのです。

DSで生活が便利になる――任天堂・岩田聡社長と宮本茂専務、ゲーム機の現在と未来を語る (6/6)


大きな流れとしては、体感系や身体系と呼ばれているものについてはゲームの1つの本質だと思っています。」と言っている方もいますが、ユーザインタフェースはゲームにとって重要な要素ですが、あくまで目的を実現するための手段にすぎません。体感系や身体系と呼ばれているものは、古くはファミリートレーナー(Wikipedia)、最近ではXaviX PORT(ITmedia記事公式サイト)やEyeToy(Wikipedia)などがありましたが、大きく普及することはありませんでした。DSやWiiが斬新だったのは任天堂が何度も言っていますが、ゲーム人口の拡大というテーマを設定してターゲット層を5歳から95歳まで拡大したことです。ユーザインタフェースはそのための重要ですがひとつの要素に過ぎません。

最後に

私たち人間は肉食獣のような牙や爪を持たず、鳥のように空も飛べず、馬や鹿のように速く走ることも出来ず、象のような力もありませんが、知恵と創意工夫で様々な困難を克服し今日(こんにち)の繁栄を築いてきました。問題解決能力こそが人間の持つ最大の武器です。ゲームはこの問題解決のノウハウの宝庫であり、電子技術の発展(枯れた技術の水平思考)と結びつくことで、その応用範囲は想像できないほどの可能性に満ちていると思います。



参考

まず私は娯楽製品が必需品になるとは、あまり考えておりません。また必需品にする仕組みをつくったら、未来が安泰だともまったく思っていません。
 というのはどんなものも、一見ある時期には必需品のようになったものも、何らかの破壊的なテクノロジーが現れて、イノベーションがバーンと起こると、そんなビジネスはあっという間に壊れるわけです。だから会社の寿命は何年だといわれたり、かつてエクセレントカンパニーだ、ビジョナリーカンパニーだと褒め称えられた会社が、5年後、10年後におかしくなることが多いわけです。ですから必需品になるために頑張って、必需品になったら、その構造でずっと安定して儲かるという発想でいると、たぶん任天堂は長期的には栄えないと私は思っています。
(中略)
当然いつか次のラウンドというのがやってくるわけです。私は単純にこれまでと同じプラットフォームサイクルにはならないはずだと申しあげてきましたが、一方でDSやWiiは永遠にプラットフォームとして栄え続けるとも思っていません。いつかは何かが必要でしょう。

2008年10月31日(金)経営方針説明会・第2四半期(中間)決算説明会 質疑応答