節分

子供の頃、ラーメンが好きでよく食べていた。
少し大きくなると醤油とか塩とか普通のラーメンとは違うラーメンがあることが分かり、いろいろ食べ比べるようになった。更に、しばらく経つとラーメンは最初醤油しかなく、いつも食べているラーメンは味噌ラーメンと言って後からできたことが分かった。「みそ汁に麺を入れて食ってるのと同じだよ」と言われたことがあるが、そう言われると違和感がある。


最近、節分の時に大豆を撒いているところがあると聞いた。
豆なら何を撒いても良いというのだろうか。
最初はちょっと驚いたが、すぐに「撒いた豆はどうするのだろう」と疑問がわいてくる。
拾って食べるなら汚い気がするし、そのまま捨てるのは勿体ないし、そもそも食べ物を粗末にするのはいかがなものだろうか。
そういう話を聞くと、なぜ普通に落花生を使わないのだろうと思う。
落花生なら殻がついているから撒いても中身は汚くならないし、拾いやすいし、おいしいし良いことだらけだ。
ただ、大豆を撒くならまだ気持ちは分かる。
あろうことか、アメやらアルファベットチョコレートを撒くというのは何事か。
こんなのは、回転寿司でケーキやジュースが回っているのを見た時以来の驚きだ。
だいたい、食べ物を投げたり撒いたりと、粗末に扱うのはいかがなものか。
(ん、豆はなぜ撒いて良いのだろう。。。)


日本の世も末かもしれない。
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以上は、北海道出身者の率直な感想です。

「何を言ってるだかさっぱり分からない。」という方は、こちらを参照してください。

「そもそも節分の豆まきというのは、・・・」という方もいると思いますが、節分と豆まきは初めから結びついていたわけではなく、五来重『仏教と民俗―仏教民俗学入門』では節分に豆で打つのは室町時代のはじめごろから始まったと書かれています。室町時代、鬼は先祖が姿を変えた姿であり子孫の厄をはらってくれる存在と考えられていたようです。それが、仏教の影響で鬼は悪役の代表のようにされてしまったと。
何を言いたいのかというと、伝統行事は時代に合わせて形を変えていくものなので、豆の種類にそんなにこだわらなくていいのかな、と思っています。ただ、チョコレートを撒くのはちょっと抵抗があり余すけど。


なお、「仏教と民俗―仏教民俗学入門」はMicrosoft (R) Encarta (R) 2005から参照しています。2006年1月に日々動作が鈍くなっていくWindowsに辟易し、ノートをMAC(iBook)にスイッチしメインのPCはこれを使っているのですが、Encartaを使うときだけWindowsを使っています。Officeの様にMAC用のEncartaは出さないのものでしょうか。別にMicrosoft製に拘っているわけでは全くないのですが、他に良い百科事典ソフトが見つけられないもので。
MACは教育向けに使われることが多いと聞いているので、こういうソフトは必須だと思うのですが。『ウィキペディアWikipedia)』も便利ですが、やはりEncartaの方が内容が充実していることが多いと思うので、今は両方使っています。そのうち、『ウィキペディアWikipedia)』があらゆる面で市販ソフトを上回る気がしますが、それはまだ先のようです。