君が代問題


教員むしばむ『君が代神経症』


いろいろ思ったこと、調べたことを少し書いてみます。


個人的には国歌はその国を象徴する歌なのであるから敬意を払うべきであるし尊重されなければならないと思う。そういった意味で皆が国歌を歌っている席で歌わなかったり歌うことを止めさせたりするべきではないと思います。


ただ、一方で、「君が代」の歌詞に心から同意できないのもまた確かです。
これは法律で決まっていようが国歌というお墨付きがあろうが、おかしいものはおかしいと思うし、嫌いなものが嫌いです。
できれば、自分が間違っていると思う歌いたくないというのが、本音でしょう。


ウィキペディア(Wikipedia)−君が代

歌詞
君が代は 千代に八千代に さざれ石の いわおとなりて こけのむすまで


読み
きみがよは ちよにやちよに さざれいしの いわおとなりて こけのむすまで


一般的な漢字かな交じり表記
君が代は 千代に八千代に 細石の 巌となりて 苔の生すまで


現代語訳
君が代は、千年も八千年も、細石が大きな岩になってそれにさらに苔が生えるほどまで、長く長くずっと続きますように。

歌詞の中で「君」が誰を指すのかの議論があるようですが、日本語的には「君主」とか「あなた」とかの解釈が可能のようです。
ただ、日本の国歌として歌われた場合は普通は天皇になると思います。
つまり、「天皇/天皇家の長寿を願う歌」になるわけでしょう。
個人的には天皇に恨みはないし、逆に生まれながらに人生が決められてしまっていることを可哀想だと思いますが、この歌詞の内容にはとても賛成できません。
この歌詞を国民が整然と歌っている光景は、逆に怖いと感じるのは私だけでしょうか。
北朝鮮とかで歌っているなら何の違和感もないのですが。


冒頭の記事によると学校現場では更に事態がややこしいことになっているようです。


たぶん、学校の先生になるような人は普通の人よりも理想が高かったり、繊細だったり、強い信念を持った人が多いのではないかと思います。
そういう人は自分の考えや思想と全く反対のことを、自分がせざるを得なかったり、生徒に強要しなければならなかったりすると、その葛藤に苦しむことになります。
「職務規程なのだから当然それに従うべき」という意見もありますが、教育はそういうものとは違うと思います。
学校は知識を詰め込む場所だけではないはずです。
だから、生徒も親も社会も教師に対しては、高いモラルを要求しているはずです。
モラルを維持するためには、規定だけでは不十分で、理想・信念のような思想が大事になってくるのだと思います。
たぶん、君が代問題で苦しんでいる教師の多くは、教育に熱心な人じゃないかと思います。
君が代賛成の教師が不真面目という訳ではないでしょうが。)


こういうニュースを聞いて一番許せないのは「10・23通達」を出した人たちです。
国歌は法律で決まっている、だから学校行事で歌わなければならない、歌わなければ職務規程違反だ、生徒が歌わないのも教師の責任だ。
こんなことを平気で言う人間の気が知れません。
天皇の長寿を願う歌」を1憶2千万人の国民が整然と歌うような国に、違和感は持たないのでしょうか。
この通達によって、学校で何が起きるのか分かっていて、やっているのしょうか。


日本では国旗や国歌がたびたび問題になっていますが、外国はどうなのでしょう。
個人的には、アメリカの国歌はうらやましいと思っていたりします。


ウィキペディア(Wikipedia)−アメリカ合衆国の国歌

日本語訳(意訳)
おお、見ゆるや 夜明けの淡き光を受け?先の夕暮れ 陽が落ちるとき 我らが歓呼しもの?そは太き縞と輝く星なり 危うきいくさのあいだ?塁壁の上に見たり 勇壮にひるがえりし かの旗/?のろしの赤き炎立ち 砲音宙に轟くなか?耐え抜き 旗はなおそこにあり?おお、星散りばめたる旗は 今なおたなびくや?自由なる大地 勇者の故郷