文庫本の始まり


人力検索はてな - 何故ハードブックを出版してから文庫本を出すのでしょうか? ハードブック・文庫本のそれぞれのメリット・デメリットはなんでしょう?


以前に「本の値段」で本の値段に疑問を持ち、いろいろ調べた時に文庫本の始まり「円本」を見つけたのでまとめておく。


円本(写真)


円本


結局、この記事が一番分かりやすい。

今日は何の日−12月3日

 大正15年(1926年)のきょう。12月3日。改造社現代日本文学全集』第一回「尾崎紅葉」が発売。

 なあんだ、文学全集なんて今更売れないよ!その通りです。筑摩書房の『文学の森』あたりが最後じゃないかなあ。(本屋の年寄りおじさんの回想)ただ、個人全集はまだまだ発売されている。ということは売れてるんでしょうね。1巻5000円とか7500円とかして、本屋のおやじでも買うのに二の足踏む値段になってるけれど。

 この改造社現代日本文学全集』は廉価版総合文学全集の元祖でもあるわけで、日本出版流通史上おおきな出来事でもありました。 理由ですか?

 まず、べらぼ〜に安かった。なにしろ菊版500 頁のハードカバーが1円ぽっきり。消費税なんて無い。当時の小説単行本が200頁くらいで3〜5円はしていた時に、一作家の作品を3〜5作品合本で1円だから、3〜5倍の内容で値段は3〜5分の一。上下合わせりゃ6〜10分の一だもん、こりゃあ凄い割安感。「円本」と呼ばれた由来は、当時東京市内ならどこまで乗ってもタクシー代は一円で「円タク」って呼ばれていたのが流用された。

 次ぎに、事前前金予約で35〜 40万部あったというから大量生産+大量消費の元祖でもある。その背景には全国的な書籍の流通網が出来上がっており、末端の書店も全国で1万軒(平均坪数は10〜20坪)に達しようとしていたし、殆どの本屋が雑誌の定期予約の家庭配達をして、販売網も出来上がっていた。出版流通史ではこの点が重要なんです。今の流通システムがこの時に出来上がったと云えるからで、(小田光雄氏は近代出版流通システムって名付けておられます。)今日の様々な出版流通システム上の問題点はここから発生してきてるんです。だから解決策もこの時代に埋もれているわけです。

 三番目は返品できたこと。支払いとか運賃とか細かい取引条件や実態は後日の研究を待つが、流通システムとしてはかなり現在に近い。ただ一点、必ずしも定価販売ではなかったようで、書店は結構値引きしたり発売日より早く売ったりしていた。

 その結果、2、 3年後には大量返品が発生する。返品の受け皿の機能は古書店も受け持つが、一方で海外に輸出した。海外と行ってもアメリカやヨーロッパではなく、朝鮮・満州など、いわゆる植民地に流したようだ。(文献資料には当たっていないが)現在の返品は、当時のように、またアメリカのリメンダーの様な機能は確立されていないので、返品はモロに出版社や取次や書店の利益や(経費増により)経営を圧迫する事になってます。

四番目は、読者を急激に拡大させました。もちろん学校教育制度の整備や工場などの職場教育の一環としての図書室の設置などの読書リテラシーや環境もありますが、この安さと発行量によって読書人口を増やしたといえましょう。

ついでに、製本や造本(箔押しとか)の技術も変化させます。より沢山売るための工夫を、出版社だけではなく、用紙や製造段階でも行われました。輸送や倉庫といったデリバリー関係にも影響を与えていきます。

 五番目は、出版企画の大半が改造社現代日本文学全集』に続く円本出版、全集出版の中でほとんど出尽している、という点。以下『日本出版百年史年表』から当時の全集発行を引き抜いてみたが、あることあること。現在でも行われている「新企画」が幾つか有る。歴史は「繰り返される」ってのは本当かもしれません。

円本=廉価・大量製造・大量販売・大量消費・大量返品、それらを可能にするインフラの整備も引きおこし、日本出版流通史や文化史に大きな影響を与えました。(疲れた人は以下省略して下さい。)


まあ、これが今も続く書籍出版のビジネスモデルなんだろうけど、要は「コンテンツの再利用」だ。
同じ様なことは、最近であれば、漫画文庫昔のヒット曲の詰め合わせのCDセットなども当てはまると思う。
で、「安く出せるなら、初めから安く売れ」と思うのはおかしいのだろうか。