日本に求められる教育とは

4月17日のワールドビジネスサテライト(WBS)でインドで日本の公文式(KUMON)が人気だという特集があった。公文式を取り入れた学校では算数の成績が上がったそうだ。インドの学校の先生は数学オリンピックにも出場したいとか言っていた。

私も一時期、公文式に通っていた時期があるがすぐに止めてしまった。止めた時の直接の原因は憶えていないが、結局、向いていなかったんだと思う。公文式は基本的に計算問題をひたすら繰り返す。同時に時間を測定してできるだけ早く解けるようになることを目指す。自分の場合、割り算で躓いてしまった。

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上の様な割り算(縦に長くなるやつ)で「なんで上から数字を持ってくるの?」とか「なんでこれで答えが出るの?」とかが気になり、計算できなくなってしまった。たぶん先生はこんな簡単なこともできない自分を「こいつアホなんじゃないのか」と思ったに違いない。自分の場合、子供の時から機械をバラすのが好きで買って貰ったオモチャは最終的にはバラしていたと思う。(プラモデルは最初からバラけてたので完成後は壊れるまで遊んでいたけど。)テレビに興味があったときは、早くテレビが壊れないかなと毎日念じていた気もする。とにかくそういう子供だったので、黙々と計算を繰り返す公文式は興味がなかった。

話をインドでの公文式に戻すと、公文式をがんばれば数学オリンピックに出られるようになるんだろうかという疑問がある。どちらも計算することに変わりはないが、数学オリンピックの過去問を見ると本当に数学の能力を問うていることが分かる。もちろん、公文式を否定する気はまったくなく、公文式をきっかけに数に興味を持ったり、集中力がついたりと人によって効果はあると思う。ただ、数学オリンピックに結びつける考え方に違和感を感じた。

インドと言えば、この前のNHKスペシャルが印象深かったのを憶えている。細かいことは忘れたが、ハングリー精神で勉強するインドに対し、物質的に豊かな日本はやがて追い抜かれてしまうという印象を受けた。他のブログもいくつかみてみたがそういう感想が多かった。しかし、上記の公文式で算数の成績が良くなったと喜ぶ子供や数学オリンピック出場を夢見る先生の話とは同じインドの教育についての報道にもかかわらず、結びつかない気がする。やはり、物事は複数の視点で見ないと実態は分からないのだろう。

NHKスペシャルの感想の中に非常に納得できるブログがあった。

この番組を見ながら、日本の高度経済成長期、アメリカが同じように日本を見ていたんだろうということを考えていた。その当時のアメリカでは、日本の経済成長の源は教育にあるとして、日本の教育は「成功モデル」として紹介され、もてはやされた。そして、アメリカは教育改革を行った。

歴史は繰り返す そしてこれから - 今日行く審議会@はてな

日本は高度経済成長期、アメリカのようになることを目指し、実際に有形無形の多くのモノをアメリカから輸入した。インドも日本と同等かそれ以上の社会を目指して、その一環として公文式を導入しているのではないだろうか。
今のインドと日本とでは教育の状況が余りにもかけ離れているので、インドの教育で参考になるものはほとんど無いと思う。識字 - Wikipediaによるとインドでは識字率でさえ58.0%程度しかない。(日本は99.8%)

インドや中国の教育は今ようやく量の拡大に力を入れ始めた。イギリスやアメリカはもはや理想のモデルではない。日本はこれからどうするのか。そこを考えなければいけない。

歴史は繰り返す そしてこれから - 今日行く審議会@はてな

今日行く審議会@はてな さんのエントリーは上記で締めくくられており、日本がどうすべきかは書かれていない。たぶん、日本がどうすべきが分かっている人はどこにもいないのではないだろうか。じゃあ、何もしなくて良いかというとそうはいかない。インドと同様に日本も「人」しか資源がないのだから。

先の道が見えないときに採るべき手段は限られている。その中でも試行錯誤を繰り返すのが最も有効だと思う。シリコンバレーはこの方法でGoogleを生み出すことができた。一番無能な策は、「何もしない」と「有識者の考えた施策に全員が従う」だと思う。どちらがより無能なのかは判断が難しい。

これまで何度も申し上げたとおり、教育については国は口を出さない方がいいと私は思っている。
それは「国が教育に口を出さない方が私にとってよい」ということではなく、「国が教育に口を出さない方が国にとってよい」と思っているからである。

教育基本法と真の国益について - 内田樹の研究室

私も国が口を出すべきではないと思うが、だからといって国が何もしなくていいとは思わない。国はやるべき事をやって欲しい。

大学の学費がいかに高いか、その異常ぶりは国際的な比較によって明らかになる。アメリカとカナダの教育政策研究所が作成した「グローバル高等教育ランキング2005」によると、16ヵ国中で日本は最下位。もっとも私費負担が高い国となっている。(…)また、「GDPに占める高等教育費に占める公的財政支出の対GDP比」では、韓国と並んで最下位。

(…)

日本のこんな状況に対して、国際的には厳しい視線が注がれている。ユニセフは高等教育を無償にすることを目標に掲げ、その目標に向かって前進することを国際人権規約のなかで謳っている。日本は1979年に国際人権規約を批准しているが、そのとき、その一部である社会人権規約のうち、無償教育に向けて努力するという項目は留保した。日本以外で同じ留保しているのは、マダガスカルルワンダのみ。世界第2位の経済大国として、高等教育に金を出そうとしない姿勢は恥としかいいようがない(…)。

それ以来30年近くにわたって、日本はユニセフから何度も高等教育の私費負担を下げるように勧告されながら、その問題を放置してきた。それどころか、私立大学の助成金は下げられ、私費負担は増加してきた。学費が果てしなく値上がりしてきた状況は、先ほど見たとおりだ。

(134-139頁)

http://d.hatena.ne.jp/falcon1125/20070214/p2

引用の引用になってしまうが、教育格差絶望社会 (洋泉社ペーパーブックス)という本からの引用。これによると、今の日本は教育に対して「口は出すが金は出さない」という方針らしいことが分かる。昨今、格差社会という言葉が取り上げられることが多いが、家庭での支出の内、最も多いのは何かと考えると教育費がかなりの割合を占めているように思う。(客観データを参照したわけではないので実際は分からない。)子供のいる家庭では生活費を削ってでも教育費を貯めようとするだろう。つまり貧しい家庭は金銭的な理由のために子供を進学させることができず、その子供の子供も同じ事の繰り返しになる。格差社会の問題はこの負の連鎖が問題なのではないかと思う。この負の連鎖を断ち切る簡単で確実な方法は高等教育の私費負担を下げることだろう。ユニセフから何度も勧告されているようだし。

だから、教育に関して日本がとるべき対策は、

  • 口を出さない。(学校の自主性を尊重する)
  • 金を出す。(金銭的な理由で進学できない子供を無くす)

の2つだと考えられる。