テレビのカタチ

久々にマックピープル10月号を買ったら面白い記事が載っていた。

MITの石井裕さんの「デジタルの感触」というコラムで「テレビの未来」について書かれていた。

内容は大衆向けの放送型メディアであるテレビは、個々人がオンデマンドで情報を入手できるネットワーク型メディアには勝てないよ、という良く聞く話なのだが、紹介されている例が良かった。
一つはご自分の3才になる娘さんの話で、自宅にDVDはあるけどテレビが無いそうなのだが、たまに旅館でテレビを見ていると、巻き戻してとか、最初から見たいとか無茶な要求をするらしい。
この話の後にこれからの社会は受動型からオンデマンド型へ変革していくとかの話になるのだが、受動型メディアを批判しながら、このコラム自体が受動型メディアに属していることに違和感を感じてしまう。
この雑誌は読者の選択に基づいて購入されているが、Macユーザー向けの雑誌なのでMacユーザーかMacユーザー予備軍ぐらいしか購入しないだろう。すなわち、雑誌を買ってもコラムを読み飛ばす人もいるだろうし、コラムの内容に関心が高いと思われる人でもコラムの存在すら気づかない人も大勢いると思う。こういった状況は良い情報もくだらない情報も一緒にして垂れ流すテレビと似ていると思う。
要は何を言いたいかというと、Macユーザーに限らず興味深い内容のコラムだと思ったので、是非ともネットに公開して欲しいと言うこと。もちろん、有料の雑誌に掲載するコラムを無料のネットに公開するのは難しいのは分かるのだが、3才の娘さんが旅館でテレビを「巻き戻したい」と主張するのと同様に、情報の受け手の自然の発想だと思う。

もう一つは、デジタルテレビを商品開発している企業の方々と議論した時の話。その企業方々に、その場にいた教授/学生の約40%が自宅にテレビがないという話したら、真顔で以下のように問いただしてきたとのこと。

「テレビがない家庭があるなんて理解できない。この文明社会に生きている人間ならば、何故テレビを見ないのですか」

ここで著者がなかなか気の利いたセリフを返すのだが、気になる方は雑誌を購入して欲しい。(引用の主旨とあまり関係ないので)
たぶん、企業の方々は、動画表示装置としてのモニタと、放送免許を持つ限られた放送局が番組を垂れ流すテレビを混同しているんじゃないだろうか。つまり、テレビがない家庭とは動画を見ることができない家庭と短絡しているんだと思う。インターネット(PCでも携帯電話でも)登場前と登場後では、テレビの形や見た目は同じでも、その位置づけや有り様は全く変わってしまった。彼らにはそれが分かっていないのだと思う。
彼らにネットを使えば様々な情報をより深く入手できるという話をすれば、それは違法だと言うかも知れない。しかし、インターネット経由の合法的なサービスは確実に広まっている。将来のことは誰にも分からないが、少なくともデジタルテレビに変わったとしてもテレビがリビングの王様であり続けると思っているのはテレビ業界関係者ぐらいだと思う。

たぶん偶然だと思うが、上記コラムの隣のページで、津田大介さんが連載コラム「音楽配信一刀両断」の中でYouTube日本語版と企業提携の話を書かれていた。Macと動画配信関連の話に興味があるなら、今月のマックピープルは当たりかもしれない。