あとがき−サイヤ人のような任天堂ー

前回のエントリは信じられないほどたくさんの方にアクセスしていただき、嬉しい限りです。
もともとこのエントリを書こうと思ったのは、本文で引用しているYahooの記事「任天堂は大和総研が「同社の評価軸を変える時期」と」を読んだのがきっかけでした。以前から、任天堂はゲーム会社のまま全く別の会社に変わるような気がしていたので、これをネタにエントリを一つ書いてみようと思いました。また、任天堂に対する批判として「花札を作っていた会社」というのを時々聞くので、その辺も調べてみることにしました。
エントリのベースはほとんどhttp://www.geocities.co.jp/Playtown/4007/phy00.htmlです。本当に詳細に分かりやすく創業時からファミコン全盛、そしてPSに敗北するまでが書かれていました。結構なボリュームがありますが、任天堂という会社に興味のある方は一度、読まれることをお奨めします。
任天堂の創業から現在までの遍歴がだいたい分かると、将に波瀾万丈としか言いようがないことが実感できました。これってそのままドラマにできそうだなと思い、ドラマというよりマンガみたいと考えて、サイヤ人に例えてみました。たぶん、それが多くの人に興味を持って貰えた理由だと思っています。

また、今回、Wikipediaなども読むことで、今まで知らなかったことも分かりました。その一つが、NINTENDO64が「25000円のスーパーコンピュータ」と呼ばれていたことです。

性能は当時最高級だったが、その性能を引き出すために「ソフトウェア(RCPのマイクロコード)で工夫する」設計、つまりソフトウェア面の開発に負担をかける構造となっていたため、その性能を発揮するゲームの制作は非常に困難だった。しかも、開発用のライブラリの充実に時間を要し、任天堂自身がライブラリ開発やサードパーティに配布することに力を注がなかったため、サードパーティーの開発環境のハードルがさらに高くなってしまった。

NINTENDO64 - Wikipedia

この解説だけを読むとまるで今のPS3について説明しているようです。
いま、DSやWiiは高性能化路線を敢えて歩まずに成功したように見えますが、それは今までどのゲームベンダーも選択したことのない全く新しい考え方です。PS2の成功やXboxの動きを考えれば、任天堂だけが一人負けになった可能性も大きかったのではないかと思います。なぜ、Wiiのような方針の大転換ができたのか以前から不思議だったのですが、NINTENDO64でスーパーコンピュータ路線を選択したときの行く末を身をもって実感していたのだと思います。そこに未来がないことは分かっていたので、自信持って他の道を選択することができたのでしょう。

岩田社長は事ある毎に「ゲーム人口の拡大」ということを口にしています。そのため、私はてっきりこの戦略は岩田社長オリジナルなのだと思っていたのですが、この前のエントリを書いて以来、たぶん前社長のアイディアを拝借したのではないかと思っています。

トランプのイメージを変えたのは

当時トランプと言えば、西洋のギャンブルに使う道具といった花札に似た妖しいイメージがあった。
山内は、プラスチック素材への改良、ディズニーキャラクターの採用、TVCMによる宣伝、プレイガイドによる遊び方の啓蒙など、斬新な手法を多様に用いて、トランプがもつ胡散臭いイメージを払拭し、大ヒット商品に育て上げた。

http://www.geocities.co.jp/Playtown/4007/phy02.html

(強調は引用者)
これはトランプをDSに置き換えれば、岩田社長がこれまでやってきたことと重なります。”歴史は繰り返す”と言うことなのかも知れません。