人食い虎が山を下りる日

帰省のための移動中、暇だったのでDS文学全集に収録されている山月記を読んだ。学生時代にも読んだ記憶があるが、今読むといろいろと考えさせられるところが多かった。(青空文庫にも収録されている。

人が虎に変わるとき

ストーリーは詩の才能に恵まれた男、李徴が詩で名声を上げるべく一人こもって詩作に励むが成果が出ず生活が困窮し、役所勤めをするも発狂、なぜか虎に変身し山で人を襲うようになる。そこへかつての友人が通りかかり李徴がこれまでのいきさつを語るという内容となっている。李徴がなぜ虎に変身したかは明かされないが、李徴自身の推測として、次のように語られる。

己(おれ)は次第に世と離れ、人と遠ざかり、憤悶(ふんもん)と慙恚(ざんい)とによって益々(ますます)己(おのれ)の内なる臆病な自尊心を飼いふとらせる結果になった。人間は誰でも猛獣使であり、その猛獣に当るのが、各人の性情だという。己(おれ)の場合、この尊大な羞恥心が猛獣だった。虎だったのだ。これが己を損い、妻子を苦しめ、友人を傷つけ、果ては、己の外形をかくの如く、内心にふさわしいものに変えて了ったのだ。

中島敦 山月記

才能に恵まれ高いプライドを持った人が挫折によって道を踏み外すも、当初の夢を忘れられず苦悶する。これと良く似た話を最近、ブログで読んだ。

音楽業界に身を投じる者に音楽嫌いはまずいない。その多くは最初、自分がミュージシャン、クリエイターとして成功することを夢見ている。しかし、目標を達成するのはごく一部だ。残る者のうち一部はバックバンドやスタジオミュージシャンとなる、そこからも脱落すると、今度は音楽プロダクション関係者としてマネジメントや経営に携わることになる。
(中略)
結論を言えば、音楽業界は、一部のクリエイターの才能に、多くの関係者がぶらさがって食っている世界なのだ。

初音ミクと終わりのはじまり: 松浦晋也のL/D

おそらく、音楽業界という閉鎖的な山の中にはたくさんの”虎に変身した李徴”がいて、山を通りかかる才能のあるクリエイターや音楽ファンを糧に生活しているではないだろうか。

これからはクリエイターが虎に変身しなくなる

ところが、今やネットと最低限の機材さえあれば人の作品を見たり自分の作品を見て貰うことが可能になった。それは音楽業界に身を投じなくても音楽と共に生きる選択を可能にする。だから、今後は虎になる人はいなくなる。

ミュージシャンが音楽を作る動機が「儲かるから」でなく「表現したいから」である限り、“音楽”それ自体はなくならない。

終わりの始まりのあとに(1) - 日々の音色とことば:

私はクリエイターが作品を作る動機は「表現したいから」だと思っている。

好きな本も、芝居も、見ることが出来なくなり、書くことも出来なくなると、
「書きたい、書きたい。」
と涙をためて申しました。
「もう一冊書いて、筆一本持つて、旅に出て、参考書も何も無しで、書きたい。」
「俺の頭の中のものを、みんな吐き出してしまひたい。」
とも申しました。

http://uraaozora.jpn.org/nakajima.html

山月記の作者である中島敦氏は亡くなる直前まで書き続けることを望んでいたし、

周囲の不安をよそに、病床でも漫画の執筆は続いた。精も根も尽きるまで、ペンを握った。

 死の直前、もうろうとする意識の中で、何度もベッドから起き上がろうとした手塚は「仕事をさせてくれ」と訴えた。悦子が聞いた最後の言葉だった。

http://www.kobe-np.co.jp/chiiki/rensai/200201hanshin/23.html

漫画家の手塚治虫氏も同様だった。
また、昨年の亀田騒動で知ったが、ボクシングの日本チャンピオンであった内藤大助氏の夫婦の収入は月収12万円ほどだったそうだ。これは、内藤大助氏のレンタカー屋で働いた給料と奥さんの喫茶店での給料を含んでいる。なぜ、こんな世界で生きることを選んだか聞けば、おそらくボクシングが好きだから意外にないのではないか。
音楽も小説、漫画、ボクシングのどれも生きていく上では必須のモノではなく娯楽に分類される。だから、不景気になれば真っ先に切り捨てられるリスクの高い業界になる。そんな世界で生きていこうと考えるのはそれが好きだから以外に考えられない。
中島敦氏は高校の教師をしながら執筆したし、ニコニコ動画は金銭的な見返りは期待できないのに多くの才能の無駄遣いが投稿されている。儲からなくてもクリエイターは新しい作品を作り、発表し続ける。

人食い虎の行く末

では、既に虎になってしまった人はどうなるのか。

結論を言えば、音楽業界は、一部のクリエイターの才能に、多くの関係者がぶらさがって食っている世界なのだ。

初音ミクと終わりのはじまり: 松浦晋也のL/D

関係者の「ぶらさがって食っている」というのがどういう状態か分からないが自分のスキルを生かして貢献しているという感じには読めない。素直に読めば「食い物にしている」だろう。例えば、以下のようなやり取りを見るとまさにクリエイターを食い物にしている。

920 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2007/12/19(水) 20:20:59 id:oSQ+FDNN0
kz氏とは違う中身なんだが晒す
着うたに関するニワンゴの渉外とのやり取りを簡潔にまとめてみた

曲を着うた化したいとドワンゴからメール

とりあえず話を聞きたい

「プロジェクトを一緒に進めているクリプトンかフロンティアワークスいずれかとの契約後、配信の流れになる」とのこと
上記ニ社にメールアドレス教えてもいいか聞かれる

とりあえずOKする(契約内容が分からないのでまだ配信については決めてない)

しばらく音沙汰なし

ドワンゴから配信の準備のために先にwavだけ下さいという旨のメール

マスターのwav送る

しばらく音沙汰なし

あれ?いつの間にか配信\(^o^)/ハジマッテル(その間、どこからも一切アクションなし)

その後も連絡なし

唐突にドワンゴからJASRACへの登録手配についてのメールが来る ←いまここ
なおこの段階までJASRACという言葉は一切出てこなかった

カミングアウトした他のミク曲作者 - 職人さんの権利関係まとめwiki[旧・みくみく登録問題まとめ] - アットウィキ

李徴は山を通りかかる人を襲ったが、今の音楽業界の虎達は音楽業界という山を通りかかるクリエイターやユーザーを食い物にしているように見える。これまで人々は音楽に触れるためにはその音楽業界という山を通るしか道がなかったため、リスクを承知で仕方なく山に入っていった。しかし、状況は変わりつつある。音楽ならクリエイターも観客も音楽業界という山を迂回して音楽に触れることができるようになった。

ほとんどの人が山へ入らなくなったとき、飢えた虎はどうするのだろうか。ほとんどは自分のスキルを生かして人を襲わずとも生きていけるだろう。しかし、これまで人を食い物にするだけで何のスキルも身につけていない場合は、山(音楽業界)から里(音楽業界以外)へ下りてきてまた誰かにぶら下がって生きていくのだろうと思う。