良いものを良いと言って、何が悪い?

はてブのホットエントリ経由でこのエントリを知って、DS文学全集で「セロ弾きのゴーシュ」(青空文庫)を予習すること約15分。

引用元の文書の冒頭から、衝撃を受ける。

だれも気がついていないけれど、ゴーシュの心の中には、へんなものがたくさん入っています。へんなものというのは、その人によってちがうけど、じこまん足だったり、つよがりだったり、・・・

小学校2年生の作文に泣かせられたよ。 - Something Orange

「だれも気がついていない」の「だれも」とは誰を指している?作品中の楽団の人たち?それとも本を読んだであろう不特定多数の読者達?
そして、ゴーシュの心を洞察し「じこまん足」や「つよがり」を見つけ出す。どうやってあの作品の中から「じこまん足」や「つよがり」などの言葉をを見つけ出すことができたのか。
やがて、唐突にその疑問が解き明かされる。

わたしは、へんなものがいっぱいで、じぶんじしんもまわりの人も、何もかもちゃあんと見ることができなかったと思います。

小学校2年生の作文に泣かせられたよ。 - Something Orange

この感想文の作者である咲紀ちゃんはゴーシュを通して自分の心を見ていたのだ。だから、ゴーシュのことを自分自身のように感じることができた。

このすばらしい感想文が子供の気まぐれから生まれたものなのか、それとも彼女の天性の才能によるものなのかは分からないが、久しぶりに面白い作品が読めてとても良かった。感想文の紹介文書もとても良かったと思う。

このエントリのはてブコメがカオスなことになっているが、これはこれで面白いと思う。このエントリを読んだ時の反応が両極端なので、「リトマス試験紙」の効果がこのエントリにはあるような気がする。その分類が何を意味するかは分からないのだが。