お金を払う人、作品を作る人、作品を届ける人

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本屋も問屋も出版社でさえも中間業者に過ぎない。本当に大事なのは著者と読者。

とコメントしたところ、id:zokkonさんから次のような言及があった。

2008年02月15日 zokkon
id:hidematu 著者が独力でいい本を作れると思ってんの? あまーい! もちろん例外はいるだろうけど

現在出版されている本が著者だけでなく編集者との二人三脚で作られているというような話は聞いたことがある。それが実際どういうものかや編集者が内容に関わった作品どの程度の割合なのかは分からない。自分の場合、本のあとがきや漫画であれば"おび"の部分にたまに書かれる編集者さんへの感謝の言葉で見えたりすることがある。また、想像だが、新人作家の場合、編集者に育てられるということは一般的なことだとも思う。


それを分かっていて上記のようにコメントしたのには理由がある。元の記事(テレビ内)では「衰退する出版業界」を問題とし、ドイツのように効率化する必要があると結論づけていた。このロジックでは「日本の出版社は自業自得」ということしか見えてこない。しかし、この書籍という市場を金銭面で支えているのは消費者であり、商品を提供しているは著者である。
もし、「当面の売上確保のために新刊点数ばかりが増えている」のが事実であれば、その被害者は良書が新刊本で追いやられて買えなくなった読者と本が出版されても大量の新刊本に埋もれてしまう著者だろう。
なぜか書籍全体に関する問題なのに、その主役であるはず"読者"と"著者"が登場せず、脇役(主役?それとも準主役?)の"出版業者"だけがでかでかと登場していたので、ああいうコメントを書いた。


なお、zokkonさんの「もちろん例外はいるだろうけど」に当てはまる分かりやすい例として、ケータイ小説があると思う。最近、何かで読んだが、ケータイ小説の出版はほぼ確実な販売数を見込めるので出版社にとってはおいしいビジネスらしい。また、作品も完成されているので余計な手間もかからない。しかし、逆に考えれば、出版社と印刷業者の違いは何なのか分からなくなってくる。印刷して書店に配送するだけで、その商品の9割以上の料金をとるというのは何かおかしくないだろうか。
疑問に思っていることはもう一つある。ケータイ小説は最近できた新しいジャンルだが、もしかしたらもっと前から需要と、そして供給もあったのではないかという疑問。それが表に見えてこなかったのは、優秀で親切な"編集者"がフィルタリングしてたからではないかと。たぶん、ベストセラーとなったケータイ小説を10年前の出版社に持ち込んだら、門前払いをされるだろう。「もっと小説読んで勉強しろ」とアドバイスされるかも知れない。そして、もしこれが想像通りなら編集者がフィルタリングしていたジャンルが他にもあるのではないかと思えてくる。あのハリーポッターがボツ原稿になるのを救ったのは8才の女の子の感性だったりするわけだし。