オリンピックが気持ち悪い

オリンピックが気持ち悪い

教室の隅でクラスメートがリンチされているのに、平然と授業が行われている。今の中国でオリンピックを行うのはそんなイメージがする。教室内には殴ったり蹴る音や嗚咽、悲鳴が聞こえているのに教師や生徒はみんな聞こえないふりをしている。この教室の中には誰一人まともな神経の持ち主はいない。まともな人ならどうするか。その状況を変えることができないのなら、少なくともこの教室から立ち去るだろう。

オリンピックは建前と本音が違っているような気がして、気持ち悪い。平和の祭典という建前と、国や企業のメンツや金儲けという本音。国によっては、メダルを獲得した選手に莫大な報奨金を出しているそうだから、人生をオリンピックにかける選手も少なくないだろうと思う。そういう選手が「チベット問題」や「オリンピック・ボイコット」を考えることは、他人の人生と自分の人生を天秤にかけることに繋がるので、とてもイヤらしい話になる。
オリンピックというのは結局のところ、国家間の競争を武力からスポーツに形を変えただけで、開催地の決定や競技の採点などで国家のエゴが吹き出しているように見える。
ただ、だからといって、今後、オリンピックをなくすべきとは思わない。世界中のトッププレーヤーが一つの場所に集まって、その技を競うというまさに夢のようなスポーツ大会はこれからも続けるべきだろう。だが、世界中の人たちや選手が、政治や企業のオモチャになるのは、勘弁して欲しい。

みんなで歌を歌おう

中国軍によるチベット制圧、人権蹂躙に反応して、オリンピックのボイコットを訴えている人たちがいる。それはそれでもっともだと思うと同時に、結局、ボイコットというのは相手を否定することなので、中国がチベット文化を否定しているのと同じことのように感じられて面白くない。
それで思ったのは、世界中の地域を代表する歌(たぶん、国歌)を一つの場所で歌い合うということ。大国も小国も関係なく、中国もチベットも台湾も、日本も北朝鮮も、アメリカもイラクも、イスラエルパレスチナも、それぞれ国歌を順番に歌う。国歌に限定するとへそを曲げる国があると思うので、地域を代表する歌にする。たとえば「沖縄の歌」があってもいいと思う。このイベントのいいところは準備が楽なところ。オリンピックのように国家間の調整もいらないし、新たに施設を作る必要もない。ただ、その国の国歌を歌える人が集まればよい。
現在も地球は多くの国に分かれているが、ほとんどの人は国の違いに関係なく好きな歌を自由に歌えるようになることを望んでいると思う。しかし、残念ながら、現実はそうなっていいない。もし、上記のイベントが実現すれば、私たちが目指すべき「あるべき姿」を指し示すことができるような気がする。