「いただきます」「ごちそうさま」は学校教育によって日本全国に広まった

上記の記事を読んで、「いただきます」「ごちそうさま」の由来や語源が気になっていたので調べてみた。

食事挨拶の変遷ー卒業論文「食卓儀礼について」によると1983〜1984年に「食卓生活史の聞き取り調査」という、1920年以前に生まれた女性達への食生活に関するアンケート調査が行われたとのこと。その結果をまとめると次のようになる。

  • 「いただきます」「ごちそうさま」を言う回答が多い一方、そういった食事前後のあいさつを行わない例も目立つ。
  • 「いただきます」を言わない例は長野、新潟、鳥取、東京、宮城、愛知などがあり特定の地域に偏っていない。
  • 「いただきます」はちゃぶ台が普及した時期に、学校へ行きだしてから始めたという複数の例がある。
  • 「いただきます」は言わないが「ごちそうさま」に類する違う食後あいさつを言っていたという複数の例がある。
  • 戦時中の学校では「箸とらば」「つるかめ」などの食前挨拶が必須だった。

また、別の調査「日本人の言語行動様式に関する比較対照的研究41」によると、食前あいさつの95%以上が「いただきます」、食後あいさつは「ごちそうさま」が64.1%、「ごちそうさまでした」が26.1%とのこと。

以上のことから、食前あいさつとしての「いただきます」は、学校教育を通して全国に普及し、食前あいさつとしての「ごうちそうさま」は同じく学校教育を通して言葉が統一されていったと考えられる。ただ、由来が何かは分からなかった。

以下、いくつか調べた結果を記載する。

「いただきます」を言わない例

食事挨拶の変遷ー卒業論文「食卓儀礼について」から部分的に抜粋する。記載の年代は生まれた年を表す。

  • 長野県下伊那郡で農業を営む1911年生まれの男性(No.93)は、「食べはじめ、食べおわりとも特別にあいさつなどせず、皆がそろったら適当に食べ始めた」
  • 1901年、新潟県中頚城郡の農家に生まれた女性(No.150)も、「みんな揃えば食べ始め、終われば片づけを始め」る
  • 1919年、鳥取県気高郡出身の女性(No.153)が生まれた農家では、家長の祖父が「ほな食べようか」といい、それを受けた皆が口々に「食べよ」といって食事が始まる。「“いただきます”なんていう言葉は使わへんかったね。食べ終わった時は“ごっとつう(ごっつぉう)さん”言うたわ」という。しかし神戸に移り1937年に結婚してからのチャブ台時期では、〈いただきます〉をいうようになる。食事後は「ごっそうさん」である。1965年頃よりのテーブル期には「“いただきます。”言うて、食べ終わったら、現在は自由やね。“ごちそうさま。”言うたり、“失礼”言うて席立ってもよかったし、“ああおなかいっぱいになった。”言うて背のびしたり」していた。
  • 家によってなかったり、あってもさまざまであった挨拶語(例えば、「食べよ」「頂きまんで」「たべるぜー」「おおきにごっそさん」「よろしゅうおあがり」等々)が統一され、必ずいわれるようになるには“しつけ”とか教育の均一化が一定の役割を果たしたというべきだろう。
  • 1895年、兵庫県神戸市長田区の農家で生まれた女性(No.2)は、「食べはじめは、何も言わず手を合わせてから食べる。“いただきます”なんて言えへんなんだ。食べ終わりは、同じく手を合わせて“ごっつぉさん”やった」
  • 兵庫県宍粟郡の農家で1913年に出生した女性(No.3)は、祖父が箸をつけるのを契機としていたようで、食前の挨拶らしきことはしなかったという。「食べ終わりは、“ごちそうさん”と終わった物から言って箸と茶わんをすすいだ」。
  • 東京府南多摩郡加住村(vol.15)は「食事の後“ごちそーさま”等と唱える家もある」
  • 宮城県名取郡秋保村(vol.6)も「父母を除いた他のものは“ゴッソウサン(御馳走様)”と父母にいう」
  • 愛知県東春日井郡味岡村(vol.36)では「食後は“御馳走さま”と言って合掌する」
  • vol.39は「食前にはなんとも言わず、食後に“ご馳走さま”というか、“ああすってん”と言う」

戦時中に学校で教えた食前あいさつ

戦時中に学校で教えていたあいさつを引用する。

「箸取らば、天地御世(あめつちみよ)の御恵(おんめぐ)み、祖先や親の恩を味わい、いただきます」という長い長い挨拶も戦中の学校教育で普及しました。

 そんななかでわたしが調べた傑作は、

「鶴亀の、齢よわい願わば箸取りて、ツルツル飲むな、よくぞカメカメ」というものです。

 あまり噛まずに飲み込んでしまうのは消化に悪いといって厳しくいわれました。三倍噛めば、三倍栄養が吸収できるという理屈です。ですから、ツルツル飲まないで、よく噛んで食べれば、鶴は千年、亀は万年というほどでなくとも、長寿は間違いなしというわけです。

http://www5d.biglobe.ne.jp/~yakatada/sub5.htm

さらにこの「箸取らば」には後から「兵隊さん、ありがとう」が付け加えられたとのこと。

戦争が激しくなって集団疎開に行った頃には「兵隊さん、ありがとう」が付け加えられるようになった。

http://www.fiberbit.net/user/eyeland/kokumin/15heitai2nichiro.htm

文学作品の例

昔の日本文学での「いただきます」の使用例を、青空文庫から探してみた。「いただきます」部分を強調表示してある。

そして、その一味の婆さんが一緒に弁当をたべるとき、きっと私に向っていただきます、とあいさつをしたという世にも滑稽な話

宮本百合子 獄中への手紙 一九三九年(昭和十四年)

食事の作法は、双方のしきたりにかなりなちがいがあったが、郷(ごう)に入っては郷に従ってもらう主旨(しゅし)で、友愛塾の簡単な日常生活の方式、つまり「いただきます」と「ごちそうさま」のあいさつだけですまし、その他は「無作法にも窮屈(きゅうくつ)にもならないように」各自に心を用いてもらうことになった。

下村湖人 次郎物語 第五部
  • 1909年生まれの太宰治氏の作品の例

いいえ、でも、せっかくの御自慢のおしるこを、もったいない。いただきます。お前も一つ、どうだい。おふくろが、わざわざ作ってくれたんだ。ああ、こいつあ、うめえや。豪気だなあ」

太宰治 人間失格

「たべなさいよ。」私は、しつこく、こだわった。「客の前でたべるのが恥ずかしいのでしたら、僕は帰ってもいいのです。あとで皆で、たべて下さい。もったいないよ。」
いただきます。」女は、私の野暮(やぼ)を憫笑(びんしょう)するように、くすと笑って馬鹿叮嚀(ていねい)にお辞儀をした。けれども箸は、とらなかった。

太宰治 佐渡

Google検索で見つかった例だけだが、いずれも今と同じ感覚で「いただきます」を使っているように見える。全ての書籍を一括検索できれば、「いただきます」の初出も分かるはずが、青空文庫も「Google ブック検索」も今の登録数では参考になりそうにない。

雑感

まず、日本全国津々浦々まで「いただきます」で統一されていることに違和感を感じる。こういう話を聞くと「お父さん」「お母さん」に呼び名が統一された話を彷彿とさせる。いろいろ調べる課程でこの食前食後のあいさつは日本古来から伝わる伝統的な文化という意見を頻繁に見かけたが、もしそうならば、地方によってバラエティがないとおかしくないだろうか。

ただ、「いただきます」「ごちそうさま」の習慣や文化は良いことだと思うので、続けることに反対はしない。自分も誰かと食べるときはいただきますと言っているし、一人で食べるときも心の中で言っていると思う。

参考リンク

食事挨拶の変遷ー卒業論文「食卓儀礼について」へのリンクが貼られていた。

「食卓生活史の聞き取り調査」の結果が掲載されているが、参照方法が分からなかった。