従来メディアの呪縛から逃れられないオーマイニュース

市民による市民のためのメディアを目指して始まったオーマイニュース。その現編集長である平野編集長へのインタビュー記事が掲載されていた。それを読むとブログとオーマイニュースの比較しているコメントに従来メディアの発想から脱却できない考え方が良く表れているように感じた。(記事は複数に分かれていて今は<上>しかアップされていない)

編集長:いや、ブログでもいいと思う。ブログっていうのは、やっぱり毎日更新しなければいけないだとか、結構その日々継続していくことに結構力を入れないといけない。自分のサイトをメインテナンスを自分でしていかなければならないという部分の、つまり発信する以外の部分で煩わしい部分がある。

オーマイニュース編集長に聞く(上) : 小林恭子の英国メディア・ウオッチ

ブログは毎日更新しなければならない?日々継続に力を入れる?サイトのメンテナンスを自分でするので煩わしい?話題がブログに移った途端、違和感だらけのコメントが連発する。なぜ、こういう誤解が生まれたのだろうか。

オーマイニュースはそういうものがなくて、自分がここぞと思うときに出してくれればサイトは他の人の投稿でも埋まっているわけだから、毎日投稿しないと忘れられちゃうから投稿しようという、そういうプレッシャーはない。

オーマイニュース編集長に聞く(上) : 小林恭子の英国メディア・ウオッチ

書くことに慣れている方がいて、でもブログだと結局、自分はある分野のことばかり書いているわけですよ、自分の仕事のことだとか。それでいいんですよ、それでいいし、それでコネクトしていくからいいわけですが、オーマイニュースはどっかにフォーカスしているわけではないから、ここのサイトに来ることによって、自分の得意な分野は自分で書いているけど、他の人の視点をすぐ横で「あ、こんなことを書いている人がいる」、と。ブログのネットワークを通じて探していくのは、どんどん深く、ある分野をより深く知っていくことになるかもしれないけれども、オーマイニュースの場合は、もうちょっと違ういろんな話題が探せる、目に付くのではないかと思った。

オーマイニュース編集長に聞く(上) : 小林恭子の英国メディア・ウオッチ

(強調は引用者)

その後の文書で誤解が生まれた理由が見えてくる。情報発信の考え方がすべてサイト(媒体)単位になっているように見える。まるで、新聞や雑誌が発行部数を維持したり、テレビが視聴率を稼がなければその媒体を維持できないのと同じように。その世界にははてなの注目のニュースやはてブニュースは存在しない。
確かにアルファブロガーによるブログでさえブログ単体で見れば、毎日、アクセスしてくれる人の数を維持するのは難しいだろう。しかし、RSSリーダーソーシャルブックマークという技術を使ったサービスが溢れている現在、個々のブログやウェブサイトでネット上のソースを考えても意味はない。ネットのリソースの中から今の自分が興味のある記事だけを読むことができるようになっているのだから。それこそ玉石混交の中から限られた玉だけを選び出すように。
このインタビューを読むと、オーマイニュースはネット上の全記事に対して”視聴率”競争を挑んでいるように感じる。まるで風車に突進するドンキホーテのように。風車は戦うものではないし、ブログは競うものではない。どちらもうまく利用してこそ価値が生まれる。