新しいドコモブランドについて

ちょっと前の話だが、NTTドコモが新しいドコモブランドを発表した。

新しいロゴは、特別色である「ドコモレッド」を採用すると共に、小文字で「docomo」と表記しました。未来に向けた無限の可能性とヒューマンタッチ、安心感、信頼感を表現した、シンプルで親しみやすいデザインと考えています。

これを読んでもなぜロゴを変える必要があったのか分からない。現在のロゴは安心感や信頼感を表示していないからダメだとでも言うのだろうか。また、はてブを見ていて新しいロゴは既存のロゴと似通っているというコメントが多かったので、次のようにはてブした。ネタ元ははてブ2ちゃんねるなど。(http://d.hatena.ne.jp/mohri/20080418/1208507356でも取り上げて貰っています。)

2008年04月19日 hidematu mobile 似たロゴまとめ。→ Canon, au, HONDA, Kodac, TECMO, TOYOTA, namco, Vodafone, kagome, PASMO, ドワンゴ

どうして既存ロゴに埋没するようなロゴの刷新するのか理解に苦しむ。さらに、「新ドコモ宣言」というのが、あわせて発表された。

【新ドコモ宣言】

1. ブランドを磨きなおし、お客様との絆を深めます。
2. お客様の声をしっかり受け止め、その期待を上回る会社に変わります。
3. イノベーションを起こし続け、世界から高い評価を得られる企業を目指します。
4. 活き活きとした人材で溢れ、同じ夢に向かってチャレンジし続ける集団となります。

書いてあることは間違っていないというか、企業の目標として当たり前のことだと思う。例えば、個人に置き換えたとすれば、「礼儀正しく」とか「はきはきとあいさつする」、「夢に向かって」なんとかなど。これらの目標の共通点は、守れたかどうか判断のしようがないということ。だから、結局、ドコモは何が言いたいのか。

荒木 お客さまにドコモが変わったという実感をどれだけ持っていただけるか。そう感じていただけるものを今年いくつ出せるかに、ブランド刷新の成否がかかっていると考えています。

「新たなドコモブランド」の狙いと、込められた思い──NTTドコモ 荒木氏に聞く (2/2) - ITmedia Mobile

なるほど、ドコモとしては「ドコモが変わった」と思われたいらしい。だったら、やり方を完全に間違えている。上記の荒木氏に聞いてみたいのは、例えば成績の悪い社員がいたとして、彼が「新ドコモ宣言」のような内容を言って、ボーナス/給料の据置 or 値上げを要求してきたら、どうするかということ。たぶん「口では何とでも言える」という内容で拒否 and 説教をするだろう。そういう社員と今のドコモはどこが違うのか自分には分からない。

個人でも企業でも変わるというのは難しいことだと思う。ただ、それでも変わった企業も少なからず存在しており、任天堂やアップルはそういう企業に当てはまると思う。この2社に共通するのは、ユーザーに提供する製品(任天堂はDSとWiiで、アップルはiMaciPodで)で「変化」をアピールしたこと。彼らは彼らとユーザーとが製品やサービスを介して繋がっていることを良く認識していただろうし、そうであるなら製品やサービスを変えなければ、市場で生き残ることはできないと思っていたのだと思う。
また、製品自体に目に見える変化がなくとも、企業が変わったことをアピールできた例もある。メグミルク(旧雪印)がそれ。

MEGMILKメグミルク)は「自然の恵み」と「ミルク」を組み合わせて作った日本ミルクコミュニティ株式会社のコーポレートブランドです。私たちは「自然の恵み」を生かしながら、さらに「おいしさ」「健康」「楽しさ」といった、お客様にとっての価値を高めた商品をお届けすることに全力をつくします。

http://www.megmilk.com/profile/brand.html

「お客様にとっての価値を高めた商品をお届けすることに全力をつくします。」という説明自体は取り立てて特別なものではないが、雪印製品の品質に関する一連の報道の概要を知っている人なら、この新ブランドに賭ける社員の思いは理解できると思う。

メグミルクの赤「メグミルクレッド」は、遮光性(光をさえぎる性質)を高め、店頭の蛍光灯の光などから中身のおいしさを守るように工夫されています。

http://www.megmilk.com/profile/brand.html

ロゴのデザインは製品である牛のミルクから、色は遮光性の観点からと明確な根拠を説明している。本来、ロゴとはそういう性格のものであろう。


製品やサービスと連動しないブランド/ロゴの変更は、経営者の自己満足でやっているとしか思えない。限られた企業しかサービスを提供できない免許制度の元で、部屋の模様替えでもするかのように看板を変えられたのでは、お金がいくらあっても足りないだろう。