趣味が人と人を結びつける時代

地球の直径は約12,000km。私たちはこのでっかい"石ころ"の上に住んでいる。

The_Earth_seen_from_Apollo_17

ニコニコ動画で「海外の反応シリーズ」というタグで動画を検索すると、日本のアニメやMADを観た外国人の感想を翻訳した動画がたくさん見つかる。そういうコメントは大概、国名がついていて、それこそ世界中の人が日本の動画を観ていることを窺わせる。
他には、台湾との歌を介したコミュニケーションもあったし、最近ではイスラエルからコスプレイベントの紹介動画の投稿もあった。

ニコニコ動画に動画を投稿するのにどのくらい時間がかかるのか分からないがおそらく数分〜数十分ぐらいだろう。その動画を観た人がコメントすれば一瞬でアップロード者を含む他の視聴者に反映される。そこにはまったく距離による違いが見えない。現実には上のアポロ17号からの写真のように国と国との間には想像できないような距離が横たわっているはずなのに、インターネット上ではそれがまったく見えない。

英会話の宣伝で「世界中の人と友達になれる」というセリフを聞くことがある。こういう話を聞くと「日本語を話せても日本中に友達がいるわけじゃない」と思う。友達になる以前に人と知り合う必要があるが、今まではその知り合う範囲を決めていた要素として「距離」がとても大きかったんだと思う。世界中に電話網が張り巡らされて、世界中の人と話ができる環境ができたとしても、それだけで人と人が繋がる訳じゃない。人と人を結びつけるには共通基盤、もしかしたら縁(えにし)と呼ぶべきものが必要で、上記の例では日本のアニメやMADなどのサブカルチャーがその役割を担っているように見える。

これまでの国際交流というのはとても距離感が感じられた。何とかサミットでもオリンピックでも外国人の生の声を聞けたと思うことはほとんどなかった。それなのに経済面では世界中の人が同じシステムに否応なく組み込まれている。そういった状況が様々なすれ違いを生んで、争いの元になっているよう思う。

将来、国境を接しているとか、ビジネスとかといった利害関係をまったく含まずに、純粋に趣味を通して世界中の人と人が繋がることができたら、すばらしいことなのにと思う。

追記(2008/9/1)

書き忘れたことがあったので追記。
これからインターネットがますます普及し空気や水のようにあるのが当たり前の存在になっていった時、私たちの生活はどう変わるのか。私たちは自分が生まれる場所を選ぶことはできない。つまり、故郷を選ぶことができず、幼なじみや同級生は「たまたま」同じ地域で生活していたという理由だけで決まる。「たまたま」、同じクラスに転校したというだけの理由で知り合い、友達になることもある。将来、距離を無意味化するインターネットが十分に発達していた場合、同じ趣味を持っている人同士が高い確率で知り合えるようになるかも知れない。今、同じ地域の同い年の子供が高い確率で知り合うように。インターネットがリアルの関係を置き換えるとは思わないが、インターネット上の関係がより重要になっていくのではないかという気はする。
今、学校裏サイトが社会問題化しているが、その本質は従来の子供同士の関係と何一つ変わっていないように見える。それは、携帯という道具を使ってはいるだけで、学校という閉じた社会の中で子供同士がじゃれ合っているだけにすぎない。しかし、インターネットは子供同士のまったく新しい関係を構築する可能性を持っていると思う。もしも、たまたま生まれた地域に限定されるのではなく、個人の持つ性格や能力、趣味に応じて、個と個が繋がり合うことができる社会が到来するのだとしたら、いったいどんな世界になるのか想像することすらできない。