関東大震災で、なぜ井戸に毒を入れたというデマが広まったんだろうか

明日、9月1日は防災の日で全国各地で防災訓練が行われる。これは1923年(大正12年)の関東大震災にちなんで記念日と制定されたことによる。

この前、図書館に行ったときに、以前から興味のあった昔の新聞を読んでみることにした。子供の頃に観たテレビでは、そういう記事はマイクロフィルムに保存されていて機械を使って読んでいた記憶があったのだが、何のことはない、ちょっと大きめ(A3くらい)の普通の本に縮小印刷されていた。年配の方は読むのがきついかも。とりあえず、朝日新聞を読むことにした。

興味があったのは、1923年(大正12年)9月1日以降の関東大震災時の新聞記事。9月1日朝刊には何も震災のことが書かれてないのは当然として、9月2日朝刊にも関東地方で地震があったらしい、連絡がとれないという記事が小さく掲載されているだけだった。それが9月4日から一変し、災害状況が写真付きで数ページに渡って報道され始める。

関東大震災時には多くのデマによって、たくさんの悲劇が起きたと、学校やテレビなどで聞いた気がする。そこで、そのころほぼ唯一の報道機関であった新聞社がどういう役割を果たしていたのかを知りたいと思っていた。

新聞紙上では「東京(関東)全域が壊滅・水没」・「津波赤城山麓にまで達する」・「政府首脳の全滅」・「伊豆諸島の大噴火による消滅」などと言った噂やデマが取り上げられた。その中には「朝鮮人が暴徒化[3]した」「井戸に毒を入れ、また放火して回っている」というものもあった。

このような状況のもと、大災害時に情報が遮断された中で朝鮮人の「井戸に毒を入れ、また放火して回っている」という噂を信じる日本人は多かった。

関東大震災 - Wikipedia


大阪朝日新聞 9月4日 二面には次のように書かれている。(旧漢字は変換できないため置き換えているので注意。また、強調は引用者による。以後の引用も同様。)

各地でも警戒されたし 警保局から各所へ無電
神戸に於ける某無線電信で三日傍受したところによると、内務省警保局では朝鮮総督府、呉、佐世保鎮守府並に舞鶴要港部司令官宛にて目下東京市内に於ける大混乱状態に付け込み不逞鮮人の一派は随所に蜂起戦とするの模様あり、中には爆弾を持って市内を密行し、又石油缶を持ち運び混雑に紛れて大建築物に放火せんとするの模様あり東京市内に於ては極力警戒中であるが各地に於ても厳戒せられたしとあった

大阪で発行された新聞だが東京にも伝わるだろうし、これを読んだ人は当然、朝鮮人を警戒するだろう。


東京朝日新聞 9月22日 二面には次のように書かれている。

人騒がせに 自警団員の放火 鮮人だ〜と流言し

自警団員の一人が自分で放火したことを隠して「鮮人の放火だ」と叫んでまわったが、言動が怪しいので調べたら自供したので刑務所に収容されたという記事だった。今の感覚で考えると想像が難しいが、当時はこういう人間が実際にいたようだ。


そして、日付が前後するが、東京朝日新聞 9月16日 二面には以下の記事があった。

あぶない井戸
その消毒のやり方
赤痢やチブス等の伝染病が段々殖えて来たがこれ等は一般の飲食物に対する不注意から恐るべき結果を招くことは勿論で井戸水も亦非常に恐るべきものゝ一つである警視庁ではこの際井戸水の消毒法を行ふように警告を発して居るがその方法は次の通りである
一、消毒薬のこしらへ方は漂白粉十匁をビール瓶に入れて水を加へ能く振り混ぜて堅く栓をしておくこと
二、分量井戸水が五石位なれば漂白粉一匁(前記の方法で拵へたものならその十分の一)を井戸に投入しツルベを動かして混ぜること
三、薬を投入して三十分経てばチブス、コレラ赤痢菌等は総べて殺菌されるから飲んでも安全である右の薬は午前九時と午後九時の二回投入すれば最も効果は確実である。

このころ赤痢など不衛生な水などが原因と思われる病人が増えているという記事もあったので、それに対する対策として、上記の記事が書かれたと思われる。しかし、薬を井戸に入れてかき混ぜるという方法は、朝鮮人が井戸に毒を入れたというデマを生むには格好の材料になったように見える。ただ、デマが流れた時期が分からなかったため、この記事とデマとの時間的な因果関係は確認できなかった。それでも、毒を井戸に入れたというデマが広まった後にこういう紛らわし記事を掲載したとは考えにくいことから、この記事を読んで井戸を消毒しようとした人(日本人か朝鮮人かは不明)をネタにデマが広まった可能性は十分あると思う。


ところで、関東大震災に限らず、新聞は過去の事件に対する貴重な資料なのであるから、是非ともインターネット上で無料公開してもらいたいと思う。