「表現の自由」が国家と国民のパワーゲームなら、ネットの初戦は国民側の負けなのかも

表現の自由」は日本国憲法で次のように定められている。

第二十一条  集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
○2  検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S21/S21KE000.html

内田樹氏は「言論の自由」が成立するための条件として以下のように書かれている。

言論の自由とは
私は私の言いたいことを言う。あなたはあなたの言いたいことを言う。
その理非の判断はそれを聴くみなさんにお任せする。
ただそれだけのことである。
だが、ほとんどの人は「言論の自由」を前段だけに限定してとらえており、後段の「その理非の判断はそれを聴くみなさんにお任せする」という条件を言い落としている。

言論の自由について - 内田樹の研究室

私はこれを「当事者」および「みなさん」が自由に発言できる環境が確保されていることが、「言論の自由」の維持に欠かせない条件だと理解した。たとえば、物理的/社会的に発言権のない相手に誹謗中傷を繰り返すことや、弱みを握っていたり銃やナイフを突きつけている状況では、「言論の自由」が保障されているとは言えない。


そして、ここからが本題。

2ちゃんねるに「小女子を〜」で始まる犯行予告をした人(発言者)が逮捕され裁判で有罪となった事件が、ネットで話題となっている。この事件を表現の自由の面から考えてみたい。

発言者がしたことは、ネットの掲示板に「小女子を〜」と書き込んだだけである。小学校や新聞社などに直接、犯行予告を送付したり連絡した訳ではない。単にある文字列を多くの人たちが見られるようにしただけ。それだけで理由で「犯罪者」になるという判例ができてしまった。

これまでネット上で情報発信することのリスクは著作権関連のものがほとんどだったと思うが、今回の事件で刑事事件の可能性が加わってしまった。「表現の自由」という面で見た場合、このことの問題は2つあると思う。

  1. 犯罪にする/しないを判断するのは警察
  2. 犯罪と認定された場合、議論の余地がない

冒頭で書いたように「表現の自由」や「言論の自由」が継続的に保障されるためには、内容について議論されることが前提となる。たとえ、誤解があったとしても弁解/説明の余地がなければならない。しかし、今回の事件では警察の解釈次第で逮捕されることを意味している。

また、裁判となった場合、そこで行われるのは議論ではなく裁判長による判断になる。少なくとも今回の事件では、「悪質なイタズラを罰する」という内容で、「表現の自由」についての判断はなかったように見える。


そして、ネットの書き込みを理由に別の事件も起きている。

調べでは、女は9月7日、インターネットの掲示板「2ちゃんねる」に「いけ○くろ北口にあるスナックのママとそのだんなさんを殺してほしい」などと本人が特定できるように書き込み、両親を脅迫した疑い。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081002-00000069-san-soci

>>124の書き込み

これは脅迫された両親からの被害届はあったのだろうか。スレッドのタイトルや他の書き込みを見れば、殺人依頼という言葉から受ける印象とはまったくかけ離れた書き込みだということが分かる。その場の勢いで書いた、たった2行の書き込みだけで書類送検されたように見える。また、「いけ○くろ北口に〜」は実際に書き込まれた文とは異なっている。そのまま書いていたらニュースメディアも殺人依頼をしたとして書類送検されていたかもしれない。


おそらくこれからも、こういった事件はなくならないだろう。今回の事件により、ネット上にある警察が危険と判断した書き込みをした人は逮捕可能(逮捕すべき)という社会的なコンセンサスが得られたと警察は認識しているだろうし、警察は一度得た既得権は手放さないだろう。そして、おそらく、それを拡大していこうとするはずである。それが警察という組織の存在理由の強化に繋がるのだから。仮に無罪となる人がいたとしても、それは一例として学習されるだけだろう。危険性の疑いがあれば、逮捕をためらう理由はない。


無用な誤解を避けるために念のために書くが、私は上記のような書き込みを推奨したり肯定する気はまったくない。悪質だし明らかに不謹慎だろう。ただ、だからといって警察沙汰になるのは問題だと思う。


最後に過去のエントリでも引用したが、有名なマルチン・ニーメラー牧師の言葉を再度引用してみる。

ナチの連中が共産主義者達を連れて行った時、私は黙っていた、

私は共産主義者ではなかったから。

彼らが社会民主主義者達を拘留した時、私は黙っていた、

私は社会民主主義ではなかったから。

彼らが労働組合員達を連れて行った時、私は黙っていた、

私は労働組合員ではなかったから。

彼らがユダヤ人達を連れて行った時、私は黙っていた、

私はユダヤ人などではなかったから。

そして、彼らが私を連れ去った時、私のために抗議してくれる者は、

誰一人残っていなかった。

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