リスペクトで回る経済

いつも読んでいるブログでWikipediaに寄付した話が書かれていた。自分もWikipediaを良く利用させてもらっていたのでこれまでも何度か寄付を考えたこともあったが、ネットの寄付は一度もしたことがなかったこともあり、寄付をためらっていた。今回は丁度良い機会なので思い切って(?)寄付してみることにした。

金額をどうするかを少し迷ったが、結局6千円にした。米国amazonのEncyclopedia Britannica 2009が約$30だったので、最初3千円にするつもりだったのだが、上記のリンク先記事が5千円だったのとお正月ということで奮発することにした。

以下が寄付の時のコメント。

Anonymous
Thanks for all your works. (Utsusemi Nikki)

http://wikimediafoundation.org/wiki/Special:ContributionHistory?offset=1230977107#249219

「寄付」と言った時、大きく2種類に分けられると思う。一つは自然災害や大きな病などで困っている人や苦しんでいる人を支援するための寄付。もう一つは活動そのものを支援するための寄付。上記のWikipediaへの寄付は後者になる。

インターネットの普及によって、世界中の多くの人たちの役に立てるサービスを少人数/低コストで作ることが可能になった。(インターネット以前に百科事典を作成して世界中に配布するなど夢物語に過ぎなかった。)また、逆に世界中から少額の寄付を集めることも可能になった。米国の次期大統領オバマ氏の選挙活動でもインターネット経由の少額の寄付が積もり積もって大きな選挙資金になった。社会が成熟し、インターネットが普及したことによって、今後は政治や社会貢献活動において、寄付による割合が増えていくように思う。

また、インターネットは創作活動の在り方も変えようとしている。デジタルデータに変換可能な作品は理論上、ゼロコストで無限に複製が可能だ。つまり作品が欲しい人、必要としている人のすべてに配布することができる。また、作品をもらった人は直接作者にコメントを送ったりお礼としての寄付も可能なはずだ。

以前から不思議だったのだが、本やCD、DVDを買ったとき、いったい誰の何に対してお金を払っているのか分からない。売買取引を仲介してくれた店員なのか、ジャケットや媒体を作成してくれたレコード会社なのか、それとも作品を作った作者なのか。そして、自分が買ったことになっている本/CD/DVDとは、果たしてモノなのか情報なのか、それともその両方なのか。そもそも自分にはコンテンツに値段がつけられるとはどうしても思えない。今まではコンテンツは記憶媒体を通じてしか配布できなかったのでやむを得ず、媒体の原価や管理費等を勘案してコンテンツを販売していた。インターネットという技術によってほとんどゼロコストでコンテンツを配布可能になったのだから、コンテンツに無理矢理値段をつけることは止めて「プライスレス」で配信して欲しいと思う。

追記(2009/01/05)

たぶん偶然だと思うが、またネットを介した「寄付」に関するエントリを見つけたので少し長いが引用してみたい。

私はそろそろ、「情報のエンドユーザーが無形の情報に価値を認めて対価を支払う」ことを一般化する時期に来つつあるのではないかという気がしている。
 もしも、「インターネットの時代にも健全で深いジャーナリズムが必要だ」と考えるなら、「ポケットの中の小銭をきちんと無形の情報の対価として投げることが習慣になるべきではないのかと思っているのである。

 既存の紙の新聞やNHKには、情報のエンドユーザーからの購読費(受信料)として料金を徴収している。しかし、ネットでは「情報はタダ」という観念が浸透しているので、過去有料化に挑んだ媒体のかなりの部分が失敗している。
 また、エンドユーザーが支払う対価は、NHKの受信料のように法的に強制されるべきものではない。あくまで「面白いから」「意味があるから」「意気を感じるから」「応援したいから」支払うべきものだ。

ニコ動プレミアム推進に見るジャーナリズムの未来: 松浦晋也のL/D

この内容は以前から何度もこのブログで書いてきたこととほぼ同じ内容だと思う。そのエントリについて、実際に創作活動をされている方から以下のような反論のコメントいただいた。

>私はどちらの方法もうまくいかないと思っていて、寄付による方法になると思っています。

ゆきさんが当初寄付を募りながら、ほとんど集まらなかったように、寄付に頼るのはちょっと難しいと思われます。趣味で著作するのならともかく、著作権法が無くなってしまうと、一定の見込みや成果を求められる商業著作や、多大な経費を必要とする大型著作を生み出す土壌が失われること必然です。

そのため私は著作権法廃止はちょっと行き過ぎであり、非商業的な著作物の利用に関して、例外規定を作るなどで対処するのが適切ではないかと思います。

創作と著作権とパクリ/盗用/盗作について - うつせみ日記 (Utsusemi Nikki)

確かに一夜にして商業ベースから寄付ベースに移行できるとは思えない。それでも、少しずつでも変わって行ければいいなとは思うし、実際、ほんのわずかではあるがそういう兆候は現れてきていると思う。(振り込めない詐欺の話だったりオバマの選挙活動だったり)