『日本のWebは「残念」』のアメリカと日本を擬人化してみた

梅田望夫さんの記事を読んでいて何となく既視感(デジャ・ビュ)を感じて思いついたのが以下。ホンの出来心で深い意味はありません。

※茶の間で父の前で正座させられうつむく「日本」君。その光景を流しから不安そうに見つめる母。


父:「日本、どうしてアメリカ君のようにできないんだ。」
母:「まあまあ、お父さん。日本だってがんばっていますよ。サブカル分野はみんなから優秀だって言われていますよ。」
父:「サブカルなんて俺にはさっぱり分からん。だいたい、あんなのができたって将来の何の役に立つと言うんだ。お父さんはお前が憎くてこんなことを言っているんじゃない。お前は本当はやればできるだけの力があると思っているから、厳しいことを言っているんだ。どうして、何度言ってもそれが分からないんだ。」
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子供がひねくれる典型的なパターンを思い浮かべてしまいました。。。

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ネット空間で特に顕著だが、日本人は人を褒めない。昨日もLingrイベントで言ったけど、もっと褒めろよ。心の中でいいなと思ったら口に出せ。誰だって、いくつになったって、褒められれば嬉しい。そういう小さなことの積み重ねで、世の中はつまらなくもなり楽しくもなる。「人を褒める」というのは「ある対象の良いところを探す能力」と密接に関係する。「ある対象の良いところを探す能力」というのは、人生を生きていくうえでとても大切なことだ。「ある対象の悪いところを探す能力」を持った人が、日本社会では幅を利かせすぎている。それで知らず知らずのうちに、影響を受けた若い人たちの思考回路がネガティブになる。自己評価が低くなる。「好きなことをして生きていける」なんて思っちゃいけないんだとか自己規制している。それがいけない。自己評価が低いのがいちばんいけない。

直感を信じろ、自分を信じろ、好きを貫け、人を褒めろ、人の粗探ししてる暇があったら自分で何かやれ。 - My Life Between Silicon Valley and Japan

だから日本では、社会のメインストリームと最も優秀なカルチャーはつねに一体化しないのである。つまりは古代から現代まで一貫して、日本の文化を担う中心軸はサブカルチャーだったのだ。

個人の狂気を見い出すフィルタリングシステム:佐々木俊尚 ジャーナリストの視点 - CNET Japan

このように、アニメやマンガは今や日本の現代文化の代表であり、世界中から評価されているにもかかわらず、文化の常識ではあり得ないくらいに国内で冷遇されているのが現状なのである。

テクノロジー : 日経電子版

改版履歴

2009/06/07 : 初版
2009/06/08 : 関連を追記。関連に梅田望夫さんの関連エントリからの引用を追記。
2009/06/09 : 関連に佐々木俊尚さん著「個人の狂気を生み出すフィルタリングシステム」からの引用を追記。今更ながら初版日を追記。関連に岸 博幸さん著「「アニメの殿堂」ほど正しい予算の使い方はない」からの引用を追記。