ニュースは発信する時代から間引く時代へ変わっていたのかも

今朝、9月12日のエントリ「ゲーム屋店員さんブログに見るポケモン販売初日の状況 - うつせみ日記 (Utsusemi Nikki)」へのアクセス数が急増していることに気づき驚きました。もともと、このエントリは備忘録的な感覚で書いたので、こんなにもアクセス数が伸びることはまったく予想していなかったからです。だいたい、書いてあることも他のブログの引用を並べただけの内容です。

そこで、改めてエントリの内容を考えてみると、ネタにしたポケモンというゲームソフトは前作の金銀で全世界2,000万本以上売れた超々モンスターソフトです。そのソフトが10年の歳月を経て、今までにないヒット商品であるDSというプラットフォームでリメイクされて販売された訳です。つまり、数十年に1度、あるかないかという稀なゲームソフトの発売日でした。
私はポケモンを一度もやったことがなかったのですが、気になって店員さんのブログをいくつか読んでみました。すると、予想を超えて売れた状況が臨場感溢れる内容で書かれていたので、記念と思ってブログのエントリに並べてみることしました。時間にして15〜30分程度。ただ、それだけの思いつきで書いたエントリでした。結局、それが品不足というニュースのタイミングとも重なって良かったのだと思います。
しかし、ネットもなくブログがなかった時代に、同じ様な記事を書くとしたらどうなるでしょうか。いくつものゲーム屋さんを回って、取材の申し込みをし、期待するコメントが得られるまでインタビューをします。でも、なかなか本音は答えてくれないかも知れません。特に発注数のようなリアルな内容はたぶん教えてくれないような気がします。時間と労力の割に得られる結果は少ないかも知れません。

情報のベクトルが変わった

今、辞書で調べて知ったのですが「口コミ(くちこみ)」という言葉は、口とマスコミを合わせた言葉だったようです。1960年代の初めに使われ出したそうです。面白い情報や役立つ情報があれば、誰かに伝えたい、自慢したいと思うのが人情というものですが、いかんせん、余り効率が良くありませんでした。それに比べ新聞やラジオ、テレビで任意の情報を多くの人々に一斉配信できるマスコミの情報発信力はは圧倒的でした。どこから面白そうなネタを拾ってきて一斉に配信しブーム/流行を作ることができる。多くの企業がその情報発信力に魅力を感じ、高額な広告宣伝費を惜しみませんでした。マスコミに期待されていた役割は、取材でネタを集めて分かりやすく、時には面白おかしく編集してCMをまぜて発信することでした。
ところが、インターネットの登場によって、根本的なルールが変わりました。取材しなくても勝手に情報が流れるようになったのです。情報発信にとって「ネタ」こそが生命線です。その生命線を確保するため、マスコミは様々なコネや仕組み(記者クラブと言う名の談合)、スキル(脅しと懐柔)を磨いてきましたが、勝手に情報が流れてしまっては、これまで築き上げてきたものが無用の長物になってしまいます。
「王様の耳はロバの耳」の寓話が示すように人は面白い話があれば誰かに話したい、伝えたいと思いますし、それを聞いた人も同じように感じてまた誰かに伝えようとします。インターネットはそれを桁違いに加速しました。Twitterについて最初、何が凄いのかまったく想像できなかったのですが、ここまで考えてようやくトンデモナイものかも知れないと気づきました。

さて、「革命的なギャルゲ」として各所の話題を総なめな『ラブプラス』。僕はDS持ってないんですけど、このゲームマジで口コミ力が強すぎで……その、困る(笑)。

僕と同じように、リアルタイムで自分のタイムラインが凄い勢いでラブプラスで犯されて「どうしたらいいんだ俺は!」となってるついったらーの同士は多数いるんじゃないかなあ。傍から見ててもこの盛り上がりはちょっと異常なレベル。本気でそのうち社会現象になるんじゃなかろうか。

『ラブプラス』の口コミ力強すぎだろ

昨日、近所のゲーム屋さんにいったらラブプラスはことごとく売り切れていて、月末まで入荷しないと書いてありました。ネットにはラブプラスをネタにした記事がたくさんありますが、もし、ネットがなかったらここまで売れることはなかったんじゃないかと思います。
かつて情報は現場に行って取材して取り出さなければ得られず、そして発信しなければ広まりませんでした。しかし、今、情報は取り出すどころか勝手に溢れ出しており、取捨選択しなければならなくなっています。

情報の渦に飲み込まれる時代に必要とされるサービス

個人が好き勝手に情報を発信するようになった時、必要になるのは自分にとって関係のある情報、必要な情報を選り分ける方法です。だから、Googleのような検索エンジンが必要とされました。しかし、検索は自分から情報を取りに行かなければなりません。これまでのようにマスコミが流す情報を受け取っていればそれなりに生活していけたとの比べると億劫(おっくう)だし面倒です。やはり、自分が欲しい情報を整理して届けてくれる仕組みや人がいると便利ですし、そういったサービスがあれば利用したいと思うでしょう。大手個人ニュースサイトアキバBlogさん、痛いニュースさんなど)はこれらのニーズに応えたサービスなんだと思います。また、J-CASTさんやGIGAZINEさんなどもそうかも知れません。これらのサービスにほぼ共通しているのは自分で取材せずに基本的にネットの情報を再編集して独特の味付けをしてコンテンツを作っている点です。ほぼと書いたのはアキバブログさんの場合、自分でネタを取材してそのネタをネットの記事で補強しているからです。つまり、個人による情報発信が当たり前になった今、必要とされるのはネット上の情報を適切に間引いて整理してくれるサービスです。

マスコミにしかできないサービス

マスコミにしかできないサービスを考えてみなしたが、結局思いつきませんでした。たぶん、ないです。イムリーな記事を見つけたので引用してみます。

2009年6月の米上院「新聞の将来」に関する公聴会で、ジョン・ケリー委員長の投げかけた3つの疑問に立ち戻ってみよう。3つの疑問とは、「もし多くの新聞社が消滅し、新聞記者がいなくなったら」という前提で投げかけられたものだ。

1. 「一般市民のブロガーたちに、権力監視や、特ダネを掘り起こしてくることはできるのか」
2.「ウオーターゲート事件のような、時間と資金をかけた調査報道は誰が行うのか」
3.「海外特派員や戦時特派員が果たしている役割は、どのようにカバーするのか」

http://journal.mycom.co.jp/column/media/036/index.html

これらの3つの疑問のうち、上から2つまでは元記事で回答されています。最後の3つ目の疑問のうちの前者、海外特派員は複数の翻訳ブログが存在しているので解決済みですし、戦時特派員は日本の新聞記者ではなくフリーのジャーナリストが依頼されている場合がほとんどと聞いたことがあるので、やはりマスコミがいなくても問題がないように思われます。そもそも、日本のマスコミが精力を注いでいる総理大臣のぶら下がり、漢字の間違い探し、芸能人のスキャンダル探しなどはやらない方が、世の中のためになります。事件報道に関しては新聞記事の内容と警察の発表資料は大差ないように見えますし、記者クラブがなくなればフリーのジャーナリストの活躍の場が増えそうです。

通用しなくなった「ネタが無ければネタを作ればいいんだ」という論理

事実は小説より奇なり、という格言があります。これはドキュメンタリー番組が面白い理由の一つだと思います。しかし、なかなかそういう出来事に出会うことは難しいのも現実です。ところが、番組は面白いのが当然と思われており、単に事実を取材し報道しただけだと番組がつまらなくなり、制作者はダメ人間の烙印を押されてしまうかもしれません。そこで制作者は面白いドキュメンタリーを作るためにあれこれ考えるわけです。
個人的にはこの撮影現場を撮影したドキュメンタリーの方がよっぽど面白いと思うのでしょうが無理でしょうね。以前、ホリエモンNHKの取材に対して自分も撮影することを条件にしたら断られたと言っていましたし。

謝辞

最後に個人的な話を少し。
今でも時々、自分がなぜブログを書くんだろうと考えることがあります。リンクしてもらったりトラックバックやコメントをもらったりすると嬉しいのもあります。しかし、たとえそういったリアクションがなかったとしても、自分は何かを書いていたと思います。まあ、趣味なのかも知れません。

id:etenrakさん、いつもリンクありがとうございます。
id:yas-toroさん、トラックバックありがとうございます。何かお返しのエントリを書こうと思っていますが、手がついていません。
DENさん、しおりさん、かーずSPさん、リンクありがとうございます。かーずSPさんに以前リンクしてもらったサイヤ人のような任天堂 - うつせみ日記 (Utsusemi Nikki)というエントリでは1日あたりのアクセス数(9000)という当ブログの最大数を記録しました。