電子媒体という幻想

京極夏彦さんがiPad向けに新刊を配信することを発表しました。その際のコメントの抜粋が以下です。

(書籍に関していうならば)紙媒体と電子媒体を対立項として捉えることはあまり意味のないことになってしまいます。

http://www.kodansha.co.jp/denshiban/

紙媒体と電子媒体は対立するものではなく電子媒体を新しい市場と考えるべきというようなことが書かれていますが、これは全く見当違いのコメントとしか思えません。そもそも紙媒体と電子媒体は比較できるものではないからです。
この点について先日の孫正義さんと佐々木俊尚さんの対談「光の道は必要か?」での、佐々木さんの説明が分かりやすかったので、それを参考に電子書籍とは何なのかを考えてみたいと思います。

「コンテンツ」「コンテナ」「コンベア」の三層モデル

佐々木俊尚さんは本について、「コンテンツ」と流通システムである「コンテナ」と媒体である「コンベア」という三層モデルで説明していました。古代、コンベア部分は粘土板→パピルス→竹簡/羊皮紙→紙と変わったのに、コンテンツの中身や写本というシステムは一貫して変わりませんでした。羊皮紙は紙という文字が使われていますが、要は羊の皮です。使いづらかったでしょうし、腐るので長期保管には向いていなかったようです。羊の皮と紙を比べれば紙がどれほど画期的だったかは誰でも分かると思います。しかし、どれだけ紙の利便性・保存性が優れていても、それだけでは社会を変えるほどの影響はありませんでした。写本というシステムが変わらなかったためです。


しかし、印刷という技術の発明は、ルネッサンスと宗教革命を引き起こしたと言われているそうです。なぜそれほどの影響力があったかは元の記事を読んでもらった方が分かりやすいと思うのでここでは書きません。


電子媒体とは何か?

これまでの説明で媒体が変わっても大きな影響はないと書きました。その理屈だと紙媒体から電子媒体に変わったとしても、コンベア部分が変わるだけなので、過去の例のように大きな影響はないように見えます。
ところで、電子媒体とは何でしょうか。文字通りであれば、電気的に記録・保存する媒体ですから、テープやハードディスク、メモリ、CD-ROM、DVDなどでしょう。しかし、特定の媒体に決まっているわけではありません。別の言い方をすれば何であっても良く自由に異なる媒体間に移すことができます。つまり、媒体が存在しない、媒体の制約を受けないことが電子媒体の本質です。これまでのように媒体Aがより優れた媒体Bに変わるのではなく、媒体そのものが不要(不定)になるのです。
池田信夫さんが以前から「コンテンツの価格はゼロに近づく」と言っていますが、媒体がなくなることによって媒体の輸送・保管コストがことが実質ゼロになることが、その理由だと思います。


コンテンツ業界に求められるもの

これまでほぼ全体として読書人口は増え続けてきましたが、今後、活字に触れる機会や時間は更に増え続けていくと考えられます。
たとえば、堀江貴文さんは「討論番組や対談番組などは原稿書き起こしで自分のペースで字で見るというのが流行ってくる」と書いています。これは、これまでは、だらだらとテレビを観ていた時間を、活字に切り替えることによって時間を浪費せずに済ませることが出来るということです。
また、今は青空文庫を通して過去の優れた名作を無料で読むことも出来ます。

iPhoneでのi文庫(450円)の表示。ちゃんとルビも振ってありますし、とても読み易いです。)
また、小説家になろうという小説の投稿サイトもあり、ライトノベル系やファンタジーものが充実しているようです。2ちゃんねる経由では「まおゆう」が話題になり盛り上がっています(賛否両論含めて)。今後もネット経由で無料で読むことのできる小説は増えていくでしょうし、名作、傑作と呼ばれるものも登場してくるでしょう。


京極夏彦さんは朗読や動く挿絵など文章以外の表現について次のように語っています。

そのうち、食玩のように主従逆転した電子書籍が出てくるかもしれないが、そのときはそのときで、エンドユーザーが喜んでくれるものを出すのが、我々作家としての立場だと考えている。

「紙か電子かと幼稚な議論する場合ではない」――京極夏彦氏が電子書籍を語る(3ページ目) | 日経 xTECH(クロステック)

これは間違ってはいませんが、認識としては全く不十分、というか答えになっていません。エンドユーザーが喜んでくれるものを出すこと。それは本に限らず、映画でも音楽でもPC、車、等々あらゆる商品について当てはまることです。

コンテンツの提供者がまず最初に考えなければならないのは、自分たちの価値を見つめ直すことです。そして、その価値をエンドユーザーに提供する最も良い方法が何なのか、自らプラットフォームを再定義する必要があります

上記の記事の図7や図8は電子書籍でできることの一例でしょう。

こちらは講談社さんも参加されているようですが、絵本の新しい可能性をよく表していると思います。そして、エンドユーザーに対して自分たちに何ができるを理解した上で新しい絵本というプラットフォームを再定義した好例でしょう(2,980円という価格は高い気がしますが)。
コンテンツの持つ価値を活かすため構築したプラットフォームの例としてゲーム機があります。プラットフォームを持つゲーム会社(任天堂ソニーマイクロソフト)は自分たちが作るコンテンツの価値が最も高くなるようなプラットフォーム(売り方、媒体、性能、ユーザーインターフェース等)を定義し製品として販売します。言い方を変えればゲームコンテンツにとって都合が良いプラットフォームを作っているのです。ゲーム専用機以外のプラットフォームであるPCや携帯電話でもゲームはできますが、そこでは無料ゲームやゲーム以外のコンテンツと差別化を図ることは難しいでしょう。


iPadは従来の紙媒体にはない新しい価値を提供できる優れたコンテンツビューアーです。iPodによって数百枚分のCDを携帯するのと同じことができるようになりました。同様にiPadは(紙の書籍を電子化する手間を惜しまなければ)数百冊の書籍を携帯することを可能にしてくれることを期待しています。また、学術書や実用書を考えた時、360°ビューの画像を埋め込んだり、動画や音声、インタラクティブな操作との組み合わせは、読者に新しい価値を提供できるでしょう。娯楽面では単に挿絵が動くという単純なものではなく、428のようなサウンドノベルが流行るかも知れません。
本エントリでは書籍を中心に書きましたが、出版業界が抱える既存媒体が売れなくなってきていることやダウンロードコンテンツでは価格が維持できないという課題は、音楽業界や放送業界、ゲーム業界でも共通しています。ここは同じ危機を共有している者同士、業界の垣根を超えて各々が持つ強みを活かした新しいプラットフォームやコンテンツを作ってみてはどうでしょうか。