火のないところに煙を立てる人たち

もし近所で夫婦別姓してる家があればその子供に何でパパとママ名前違うの〜?おかしくない?ママ偽者じゃねっ?て言ってやります

ああ、本当にこういう人がいるのかも知れないと思った。
何で太ってるの?何で痩せてるの?何で色が黒いの?何で色が白いの?何で毛がないの?何で毛深いの?何で変な声してるの?何でメガネかけてるの?何で結婚しないの?何で子どもがいないの?何で男なの?何で女なの?何でおかまなの?何で生きてるの?

質問している本人は何か問題が既にあって自分はただの傍観者だと思っているのかも知れない。しかし、実際はこの質問している人自身が問題そのものだということに気づいていない。

この話を読んで有名な一休さんの逸話を思い出しました。

ある村に曲がりくねった松がありました。あるとき一休さんは村人に「誰か、この松を真っ直ぐに見たものに褒美をやろう」言いました。それで村人達は色々な方角から松を見ます。しかしどのように見ても曲がった松はやはり曲がった松です。やはり真っ直ぐには見えません。

しばらくしてから一人が「どう見てもこの松は曲がっている。真っ直ぐ見える道理はない」といいました。
すると一休禅師が「そうだ!おまえさんが今、真っ直ぐにみえた。お前に褒美を上げよう」

この逸話は「松は真っ直ぐなものという先入観を捨てることこそが、物事を真っ直ぐに見る(偏見をなくす)ことにつながる」と言いたいのだと思います。冒頭のコメントをTwitterでつぶやいている人には、夫婦同姓こそが正しく、別姓は間違っているという思い込みがあるのでしょう。そして間違っているものは誰かから避難されるべきだし、おそらく自分が非難しなければならないという義務感すら持ってそうです。


私は子供の頃、母子家庭でした。でもそのことで嫌な思いをしたことは一度もありませんでした。そして中学の時、母親が再婚することになり苗字が変わることになりました。正直、苗字が変わることは気にしていなかったのですが、学校でアレコレ言われるのが嫌だったので高校入学時に苗字を変えることにしました。高校が地元から離れていて中学時代の同級生が少ないことも好都合でした。かなり昔の話ですが、結局、姓が変わっても特に問題はありませんでした。
なお、「母子家庭で嫌な思いをしたことは一度もない」と書きましたが、後悔していることが一つあります。自分はそのことを何とも思っていなかったのですが、どうも母親が気にしているようでした。子供の問題、たとえば成績が悪いなどのどこにでもありそうな話でも、「母子家庭」を理由に考えていそうな時がありました。もしかしたら、誰か心ない人がそういうことを言っていたのかも知れません。そう感じた時に、自分が一言、「関係ないよ」と言ってあげられなかったことが唯一の心残りです。


もう一つ思い出したのは、昔、「おそく起きた朝は」という番組で森尾由美さんが話していたことです。昔の話で記憶があいまいなので実際と違っているかも知れません。森尾さんの家庭は父親がほとんどいない母子家庭の様な状態だったそうで、娘さんが幼稚園で父親がいないことをからかわれたそうです。その時、娘さんは「父親はいる」と嘘を言い、そのことを森尾さんに「これは良い嘘だから嘘だけど悪くないんだよ」と言ったそうです。それ以来、友達からからかわれることはなくなったそうですが、その話を娘さんから聞いた時、森尾さんは涙が止まらなかったと言っていました。

検索してみると「森尾家(河合家)は、母子家庭!?」と書いてあり、この話も載っているかも知れません。


結局、言いたいことは、それぞれの家庭には家庭の数だけ事情があるのだから 人それぞれ色々な事情を抱えながら精一杯生きているのに他人からとやかく言われる筋合いはないということです。

他人からは普通とは違うように見えても当人たちが満足しているなら何も問題はないんです。それを周りと違うからと粗探しをする人たちがいるようで、そういう人に対しては「おめえいやなやつだな!」と思います。