教育は人の為ならず

学問はこの世の中で一番の黒んぼ(黒人奴隷)でもダメにしてしまうものだそうです。

「黒んぼは、主人に従っていればいいんだ。言われたことだけやっていればいいのだ。
 学問というものは、この世の中で一番の黒んぼでもダメにしてしまうものだ。
 もし、君があの黒んぼに読み書きを教えるならば、あいつをここに置いておくわけにはいかない。
 あいつは、永久に奴隷として使い物にならなくなるだろう」


では、体系的に学問を教える教育というシステムは、何のためにあるのでしょう。有名大学を出て有名企業に就職するためでしょうか。それとも、企業が優れた人間を選別するためでしょうか。勉強する理由は人それぞれでしょうが、日本という国が教育に期待していることは「教育基本法」に書かれています。

我々日本国民は、たゆまぬ努力によって築いてきた民主的で文化的な国家を更に発展させるとともに、世界の平和と人類の福祉の向上に貢献することを願うものである。

我々は、この理想を実現するため、個人の尊厳を重んじ、真理と正義を希求し、公共の精神を尊び、豊かな人間性と創造性を備えた人間の育成を期するとともに、伝統を継承し、新しい文化の創造を目指す教育を推進する。

ここに、我々は、日本国憲法の精神にのっとり、我が国の未来を切り拓く教育の基本を確立し、その振興を図るため、この法律を制定する。


冒頭のフレデリック・ダグラスさんは自由になるために勉強したそうですが、彼のおかげで教育の機会を得た多くの黒人たちは単純労働とは比較にならない多くの成果を出しているはずです。また、歴史にIFを持ち出しても意味がありませんが、ダグラスさんの働きがなければ"オバマ大統領"もいなかった気がします。それらの成果はアメリカという国の豊かさ、ひいては世界の豊かさにも貢献しています。


「情けは人の為ならず」という言葉があります。これは、人に親切にすれば、相手のためになるだけでなく、やがては自分のためにもなるという意味です。同じように教育も教育機会が増えれば、それだけ優秀な人が育つ可能性が高くなるので、教育をうけた人だけでなく、将来の国の豊かさにもつながります。税金で教育費がまかなわれたとしても、国が豊かになれば、その豊かさという形で自分に返ってきます。逆にお金持ちだけが良い教育を受けられて、貧しい家庭の進学機会が乏しいようなことをすると、全体として優秀な人が育ちにくくなります。その結果、国が貧しくなり、今は当たり前だと思っているサービスや仕組みが破綻してしまうかも知れません。残念ながら、今の日本は後者の傾向が強くなっているようです。


教育の理想は、老若男女の誰もが同じ条件で学ぶことだと思いますが、それは理想であって現実的ではありません。でも、せめて金銭的な条件は同じになるように国が制度を作るべきだと思います。