パソコンの未来

元麻布春男の週刊PCホットライン■
Windows 95の夢はもう還らない

Vistaに何を求めるのか
・・・たとえばタスク切り替えを3Dグラフィックスでわざわざ見せる必要があるのかどうか、筆者にはピンとこない。

 少なくとも、毎日使用する日常の道具にそれが求められているのか疑問には思う。それはWindows XPを「クラシック」ユーザーインターフェイスで使っている年寄りのたわごとなのかもしれない。だが、RPGの戦闘シーンだって、派手なアニメーションを毎回見せられると(そしてスキップできないと)いいかげんイライラしてこないか。VistaGUIであるAeroGlassのデモを見ていると、どうもそれに近いものを感じてしまう。

●もう変化は起こってしまった
 おそらくMicrosoftには、かつてのWindows 95に匹敵するような、画期的な製品を出して欲しいというプレッシャーが少なからずある。それは業界やユーザーからの期待であり、Microsoft自身による呪縛でもあるだろう。だが、おそらくそんな画期的な製品はもう現れないのだ。

ここで、言っているのは、パソコンが既にテクノロジドライバではなくなったと言うことだと思う。以前は、パソコンOSのバージョンアップの度に使い勝手が向上しさらなる性能や高スペックが要求され、新しいハードのニーズを高める効果があった。そして、今、その繰り返しに終止符が打たれようとしている。理由は、OSで強化される機能が必要とされなくなってきたためだ。
パソコンベンダー各社はAV機能などいろいろな付加価値を追加して差別化を図ろうとしているが、一時的に、ヒットを出せたとしても、低価格なパソコンが増えて市場は徐々に収束していくだろう。

たぶん、電卓と同じ道をたどるのではないかと思う。

ウィキペディア(Wikipedia)電卓

1960年代に登場した電卓は重量が 20-30kg もある大型のものもあったが、その後、電卓を構成する部品を真空管からトランジスタトランジスタから集積回路へと世代交代させることで、急速にコンパクト化していった。1970年代前半には重量 1kg 程度で電池駆動も可能な電卓が現れ、1980年代になると太陽電池で駆動可能なカードサイズ大の超小型・超薄型の電卓も現れる。この時期はちょうど半導体産業が発展していく時期とも重なっている。

また、部品を小型化・高集積化することは、コストを下げる効果もある。初期には軍事用など特殊な用途にしか使えなかったものも、次第に企業の業務用にも使えるものになり、さらには一家に一台、個人に一個という具合に身近に利用することのできる道具となった。

当初、数十キロもあり車と同等価格だった電卓は、技術の進歩と競争の激化によって機能は向上しサイズはカードサイズ、価格も数千円と誰もが気軽に買える価格になった。

マイクロソフトも危機感を持っており新OSで更なる需要を喚起しようとしているが、見た目が派手になっただけのOSを使うためだけにパソコンを買い換える人がどれだけいるのかと疑問に思う。人々のニーズがマイクロソフトのOSやアプリケーションから、GoogleやYahoo、その他インターネットの多くのサービスに移ると、見た目が派手で高価なだけのOSは邪魔なだけでしかない。もしかしたら、Vistaの販売がマイクロソフト帝国の終焉の序章になるのかもしれない。