正しい殺人


問い:正しい殺人

あなたは人を殺しました。
その行いを正しいと言える状況を答えなさい。
(「誰かを助けるために」等の理由では、殺したことが正しいとは言えないので当てはまりません。)


昔、「なぜ人を殺してはいけないのか?」という質問が話題になった時期があった。
そのころのニュース23の筑紫哲也氏のコラムで次のような意味のコメントがあった。
(自分の記憶頼りなので内容が違っているかもしれませんが、私はこのように記憶しています。)

(上記の問いそのものには答えずに)
日本の法律では次の3種類の殺人に限り、罪を問うていない。

  • 正当防衛と認められた場合。
  • 戦争下において。
  • 死刑を執行する場合。

この時、死刑と殺人が結びつかず、よく分からなかった。
ただ、日本の絞首刑は自殺と同じように考えていたので、この時は特に何とも思わなかった。


数年前にダンサーインザダークという映画が日本でヒットした。
ハリウッド映画でもない"あんな内容"の映画なぜ一般受けしたのか、今でも分からない。

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この映画の中に、「絞首台の上で崩れ落ちた死刑囚を数人の刑務官と思われる人々が拘束具で固定、無理矢理立ち上がらせる」シーンがある。
これを観たとき、初めて死刑は複数の人間による殺人なのだと理解した。
力ずくで刑が執行されようと、自主的であろうと、死刑囚には"死"以外の選択肢が無く、それを周りの人間が強要しているのだから、間違いなく殺人である。


最初の質問「正しい殺人」に答えがあるとすれば、「死刑の執行」が唯一当てはまるのではないかと思う。
世の中にはルールがある。
ルールには暗黙のルールと明文化されたルールがある。
暗黙のルールでは問題をうまく処理できないので、法律という形でルールを明文化するのだ。だから法律に違反するのは悪いことだし、相応の罰を受けることになる。
「法律に違反しなければ何をしても良い」とは言えないが、法律に従うことは正しいこととは言えると思う。
つまり、「法律に従って死刑を執行することは正しいこと。」と言えるかもしれない。


そこで、「なぜ人を殺してはいけないのか?」を問うてみる。
皆、誰でも答えは持っている。
例え答えを言葉にできなくても、人として生まれたからには心の中に答えを持っているはずだ。
答えがない人は、ロボットや金星人かそのたぐいなのだろう。

  • 「法律に従って死刑を執行することは正しいこと。」


「死刑」とはつまり国により認可された殺人のことである。
これは法律で定められたことなのだから正しいことのハズなのに、「なぜ人を殺してはいけないのか?」の答えには反している。
「死刑囚なら殺しても良い(止むを得ない)」と言う人は、「なぜ人を殺してはいけないのか?」の答えが不十分なのだろう。この答えは至って単純で、「○○の場合〜」の様な複雑な答えはない。
つまり、私たちが持っているルールに反することを法律が強制していることになる。
法律が間違っているのだ。


なお、誤解の無いように言っておくと、私は冤罪を除き死刑を宣告されるような凶悪犯を可哀想と思ったことはない。被害者や被害者の家族のことを考えると逆に手ぬるいくらいだと思う。そもそも、恐らく苦しい思いをしたであろう被害者に比べ、苦痛の少ないと言われる絞首刑が執行される死刑囚とでは余りにも不公平ではないか。
現代の法律で凶悪犯と呼ばれる人間に恨みを晴らすことは無理なのかもしれない。


私が言いたいことは、死刑囚が死ぬのは構わないが、「人が人を殺してはいけない。」ということだ。
法律云々とは無関係に、人の罪を考えたとき、最も重罪なのは殺人だと思う。
「法律」「裁判」「大臣の許可」とかの理屈を並べるのは、中世ヨーロッパで発行された免罪符や魔女狩り同様の無意味な理屈としか思えない。免罪符も教会が発行した正式なものだったし、魔女裁判も当時の正しい手順で行われたらしい。
手続きの話ではないのだ。
それでも、もし今の法律のままで、私が裁判官の立場なら今の裁判官と同様にやはり「死刑」を宣告するだろう。他に選択肢が無いからだ。日本の法律に「終身刑」が無いのは死刑推進論者の陰謀かと思えてしまう。
早急に(そう早急にだ)、間違った法律である死刑は廃止しなければならない。
今すぐにとは言わないが、10年後には確実に廃止できるように「終身刑」を追加するなど準備をすべきだ。


念のため書いておくと、最初の「正しい殺人」という質問の答えは、当然「ない」だ。


<参考>