労働と賃金、ストレスと成果


内田樹の研究室:不快という貨幣


増え続ける「働かない」若者たちの心理を理解するために一つの仮定を提案し、解説している記事です。
その仮定というのが、「働かないことを労働とカウントする。」という一見、突拍子もない内容なので、多くの方がコメント等で異を唱えています。


以下、私になりに理解したこと、考えたことを書いてみようと思います。

労働とストレス


内田氏は「不快」という言葉を使っていますが、「ストレス」に置き換えてみます。
私たちはそれぞれ社会的に役割を担っていて、会社で働いたり、家で家事をしたり、学校で勉強したりして、多かれ少なかれストレスを抱えています。

会社で働く場合、労働力を提供してそれに見合った賃金を受け取ることになっています。
しかし、見方を変えれば、労働にはストレスは付きものですから、ストレスを発生させることで賃金をもらっているということもできます。
さらに、社会通念上、「過酷な労働にはより高い賃金が支払われるべき。」という考え方もあるので、「ストレスが多ければ、賃金も多く支払われるべき。」とも言えると思います。
つまり、「ストレスが多ければ多いほど、より価値の高い労働をしている。」という見方もできます。
労働の価値は、賃金だけで計れるものではありません。
家で家事/育児を行っている場合は賃金は貰えませんが、価値ある労働と思われています。
そして、賃金の有無にかかわらず、労働で共通するのはストレスになります。


一方、「働かない」若者たちのストレスはどうでしょう。
働かないこと、収入がないこと、家族に対する後ろめたさ、それらを背景とする日々の生活、将来への不安、また、それらを紛らわせるための娯楽による散財。
どれも、大きなストレスになるのに十分な理由です。
彼らの言い分としては、「みんな仕事が大変だと言うが、自分たちはそれ以上に苦しい思いをしているんだ。」と、思っているのでしょう。(直接会ったことはないので分かりませんが。)
つまり、彼らからすれば、自分たちは普通の人以上に耐えている、がんばっている、働いていると考えているのではないでしょうか。

「額に汗して働く人が報われる世の中を」の意味


「IT系企業で働く人たちが高収入を得ている」ということに対して、「額に汗して働く人が報われる世の中」にしなければならない、という意見があります。
私は以前から、この意見に違和感を感じていました。


さっきは「ストレスを発生させることで賃金をもらっている」と書きましたが、これは雇用される側からの見方です。
雇用する側、企業から見たときは、その労働力によって生まれた成果に対して賃金を支払っています。ストレスの有無は関係ありません。
逆にストレスが無い方が無用なトラブルを避けられるので企業としても良いでしょう。
本来、ストレスや努力、労働時間は直接関係なく、成果に応じて賃金が支払われるべきなのです。そして、成果に対する価値判断は、直接的、もしくは間接的に、市場原理によって決まります。
既得権益天下りで、働きもせずに高収入を得ている人たちがいることは、納得できませんが、デイトレーダーやIT企業が高収入を得ていることは何も間違っていないと思います。


「額に汗して働く人が報われる世の中を」という言葉からは、社会から正当な評価・収入を得られていないという「働かない」若者の主張と同じニュアンスを感じます。

生業(なりわい)


丸山茂雄の音楽予報:できるやつには かなわない
丸山茂雄の音楽予報:努力はきらいだ


上記の記事で、丸山氏は数学に対する直感を例にして、努力を強制することの不幸を語っています。
努力することに価値が無いと言っているわけではなく、それを強制される子供が可哀想だと言っています。
競争社会の中で、子供は「○○の学校に行かないと△△になれない。」と高い目標を設定させられ、強制的に競争に組み込まれてしまいます。
親も子供も理想が高いから、「好きな仕事じゃなければ、しなくていい。」という暗黙の了解が得られてしまいます。
そして、理想と現実の狭間の中で、ストレスをどんどん溜め込んでいくわけです。


良いか悪いかは別として、できる人というのは、少なからずいます。
できない人が努力によってできる人には、なれません。
だから、できる人と比べることは意味がないと思っています。
(普通の人は、その現実直面しているのでしょうが、現実を見ないですませている人が増えてきている気がします。)


恐らく、できない人の一人である自分は、仕事をしてその収入で生活できれば、良いと思っています。
そういった意味で、「労働」という言葉より「生業」という言葉が好きです。


goo辞書−生業(なりわい)

〔「なり」は生産の意〕
(1)生計を立てていくための仕事。すぎわい。
「代々医を―としている」
(2)農耕に従事すること。また、農作物。
「万調(よろずつき)奉(まつ)るつかさと作りたるその―を/万葉 4122」


「労働」という言葉は生きることとは別の言葉ですが、「生業」は生きること働くことが一つのこととして表されています。
つまり、「生きることとは働くこと、働くこととは生きていくこと」になります。


「働かない」若者に、「あなたの生業は何ですか?」と聞いてみたいです。