「他国の市民を多数虐殺し、日本人300万人を死に至らしめた責任を負うべき人間たち」とは誰か

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Hiroaki Suzuki's Blogー伝統と創造の会

靖国参拝に関することでも、意味不明なことが多い。「道義」を大切にするという人たちが、他国の市民を多数虐殺し、日本人300万人を死に至らしめた責任を負うべき人間たちがまつられている場所に、国の代表が参拝しろと叫ぶのはなんとも理解を超える。国を不幸のどん底に陥れ、周辺諸国から憎悪される原因を作った人たちを愛国の精神でまつり、敬えというのは、「愛国」という前提を置いた上でも、理性の範囲外にある選択だ。

(強調は引用者。)
約1年前、私もブログを始める前までは、上記のように考えていました。
その頃も、マスメディアでは中国/韓国の人達への配慮から「参拝すべきでない」との意見が多く流れていたと思います。私は外国から言われるまでもなく、侵略戦争の責任者がまつられているところに現在の首相が参拝することは、間違っていると考えていました。例えば、ヒットラーの墓にドイツの首相が参拝したら大問題になるはずです。それと同じ事を日本の首相もやっているのだと、考えていました。

それが、ネット上の記事やブログ、「おじいちゃん戦争のことを教えて―孫娘からの質問状」(感想)を読んでいるうちに上記の考え方の前提条件である、「日本は侵略戦争をしていた」が怪しくなってきました。GHQマッカーサーでさえ後年、「したがって、彼らが戦争を始めた目的は、主として安全保障上の必要に迫られてのことだったのです。」と言っています。また、東京裁判の判事の一人であるパール判事は次のように言っています。
東京裁判

来日された博士が広島の原爆慰霊碑に献花して黙祷を捧げた時の言葉です。
 「この『過ちは二度と繰り返さぬ』という過ちは誰の行為をさしているのか。もちろん、日本人が日本人に謝っていることは明らかだ。それがどんな過ちなのか、わたくしは疑う。ここに祀ってあるのは原爆犠牲者の霊であり、その原爆を落とした者は日本人でないことは明瞭である。落とした者が責任の所在を明らかにして『二度と再びこの遇ちは犯さぬ』というのなら肯ける。
 この過ちが、もし太平洋戦争を意味しているというのなら、これまた日本の責任ではない。その戦争の種は西欧諸国が東洋侵略のためまいたものであることも明瞭だ。さらにアメリカは、ABCD包囲綱をつくり、日本を経済的に封鎖し、石油禁輸まで行って挑発した上、ハル・ノートを突きつけてきた。アメリカこそ開戦の責任者である

(強調は引用者。)

私は、当時の日本の指導者に責任がないとは思っていません。しかし、全ての責任を押しつけるのは間違っています。例えば、イラク戦争アメリカが勝ったからアメリカに戦争責任が問われていませんが、もしアメリカが負けていたと仮定したらどうでしょう。ありもしない大量破壊兵器の存在をでっちあげて戦争を仕掛け、罪のない市民を多数殺害したのですから、指導者の責任は免れないでしょう。強いもの、戦争に勝ったものが正しいという今のルールはどう考えても間違っています。
東京裁判極東軍事裁判)は国際法に違反して戦勝国によって敗戦国が裁かれた裁判です。もう一度日本人の手で資料を整理して、何が間違いで何が正しかったのか、そしてこれからどうしていくのかを総括すべきだと思います。(田原総一朗さんがいつも言っていることですが、なかなか実現しないようです。)

また、いわゆる「自虐教育」というのは早く訂正すべきだと思います。自虐教育によって情報が歪められてしまうと、頭の良い人ほど間違った判断をしてしまう。