国歌斉唱で起立しない教師は、現代の非国民なのか

asahi.com:式での起立・国歌斉唱定めた通達、「違憲」 東京地裁 - 社会

多くの人は今まで何度か君が代を歌う機会があったと思うが、きちんと歌えた人はどのくらいいたのだろうか。年代にもよると思うが、私の周りでは私を含めてあまりいなかった。と言うより、教師を含めて歌っていた人を見た記憶がない。ただ、皆、起立していたし、席に着いている人はいなかった。学生の頃は、「君が代」とはそう言うものなのだと思っていた。
最近の「君が代問題」では、国歌斉唱時に着席していた教師を罰することがクローズアップされているが、「国歌斉唱定めた通達」を出す前に、着席している教師に対して「なぜ起立しないのか」を問うたことはあるのだろうか。
教師は一般の大人よりも高いモラルを求められる職業なのだし、国歌斉唱時に座っていることが良くないことはそんな罰則付きの通達を出すまでもなく分かっているはずだ。そもそも、周りの人が起立している中で、数人、もしくは一人だけ着席していることがどれだけ目立つことかは着席していた本人が一番分かっていたはずだ。
「おそらく何か特別な事情が有るに違いない」と考えるのが普通ではないだろうか。そして普通はその「特別な事情」を聞くのが最初の対応なのだと思うのだが、偉い人というのは罰則という力ずくで言うことを聞かせるのが当たり前だと考えているらしい。

最近、少年が両親を殺すような悲惨な事件をよく耳にする。そういう事件が報道されるとコメンテーターという人は事件の前に子供のSOSを見つけることが大事だという。SOSとはつまり暴力的な行動とか、反社会的な行動らしい。悩みを抱えているのだが誰にも言えないのでそういう行動を起こすのだという。その場合、一番やってはいけない対応が力ずくで行動を押さえつけることらしい。

教師の不起立の行動も同じように考えられないだろうか。教師も国歌斉唱ができないやむを得ない理由があるのに、理由を説明する機会も与えられずに、起立しなければ罰を与えると強制されている。こういう上意下達(じょういかたつ)の強制が教育現場で行われているは問題だと思わないだろうか。教師に対しては命令に従えといい、教師は生徒のSOSに耳を傾けろと言う。
組織において、上に立つ者の態度というのは別に徹底しなくても下の方にまで良く届く。破産した巨大スーパーもそうだった。カリスマ社長の顔色ばかり窺っている役員で固められた組織は、店員も客ではなく上司の顔色ばかり窺っていたそうだ。

さて、ではこの「国歌斉唱で起立できない理由」というのは何なのか?ネットでいろいろ探してみたがほとんど見つけることができなかった。冒頭の裁判の原告は401人なので401人分の理由があっても良いはずなのに見つからない。探し方が悪いのか、それとも教師はネットを使っていないのか。
見つかった理由は以下だけだった。

根津公子さんのページーどうして君が代にこだわるの?(word)

私は「日の丸」「君が代」だから反対するのではなく、どんなにいいことでも考えさせずに強制することに反対なのです。だから、ここまでで私の反対する理由は十分なのですが、さらに「日の丸」「君が代」の歴史に触れて私の意見を述べたいと思います。
◆戦争と「日の丸」「君が代」―― 教科書では◆
 戦前・戦中の教科書には、次のように書かれていました。
「せんりょうしたところにまっ先に高く立てるのは、日の丸の旗です。兵士たちは…声をかぎりに『ばんざい』を叫びます」
「勇ましい日の丸の旗を見上げると、日本人の胸は、国を愛する心でいっぱいになり、思わず涙が出ます」
「おめでたい日の儀式には、国民は『君が代』を歌って、天皇陛下の御代万歳をお祝い申し上げます。 『君が代』の歌は、我が天皇陛下のお治めになるこの御代は、千年も万年も、いや、いつまでもいつまでも続いてお栄えになるように」という意味で…。 『君が代』を歌うときには、立って姿勢を正しくして、静かに真心をこめて歌わねばなりません。人が歌うのをきいたり、奏楽だけをきいたりするときの心得も同様です。」
 ――こうして「愛国少年」が育ちました。
◆戦争と「日の丸」「君が代」―― 侵略されたアジアの人はいま
「日の丸」「君が代」にいやな思いを抱く人が今もいる、ということをあなたは知っていますか?60年以上前日本がアジアの国々にしかけた侵略戦争で、2000万人以上のアジアの人が日本軍によって殺されたという事実は聞いたことがあるでしょう。侵略してきた日本軍が、赤ちゃんまで虐殺したことや、少年少女を「強行連行」し、「強制労働」に就かせ、あるいは「従軍慰安婦」にしたことに対し、今もって一言の「ごめんなさい」も日本政府から聞かされない。そのことに、怒りを持っている人がたくさんいます。
謝って、2度と戦争はしないという姿勢を示してほしい、と日本政府に訴えています。侵略戦争に使った「日の丸」、戦争の命令を下した天皇をたたえる「君が代」が、日本の学校で行われることに、昔を思い出し再び殺されるような気がする、と言います。
 あなたが、「強制労働」「従軍慰安婦」にされた当事の少年少女だったら・・・?自分に置き換えて考えてください。やはり同じ気持ちを持つのではないでしょうか。また、あなたの学校にもこういう思いを持つ在日外国人のクラスメイトがいるかもしれません。そういう友だちの気持ちも考えられる人であってほしいと思います。
 私の父も戦争に行きました。優しい人でしたが、戦争に行きました。父の世代が犯した過ちを繰り返してはいけないと思い、私は生きてきました。「日の丸」「君が代」にこだわるのは、アジアの人と仲良くしたい、再び戦争をする国に日本をしてはいけない、と思うからでもあります。
学校教育で「日の丸」「君が代」の歴史は学ばせずに、礼と起立・斉唱をさせるのは、本当にあったことを子どもたちに知らせたくない、知らせたら子どもが「日の丸」「君が代」を好きにならないと恐れるからかもしれません。
子どもだって、「知らされる権利」「知る権利」があると、子どもの権利条約に明記されています。「子どもは知らなくっていい」と、大人の都合で言う人がいますが、未来を築く子どもはしっかりと知らされるべきです。

(強調は引用者。)

長々と引用したが、君が代を歌わない起立しない理由は2つあるように私には読めた。

  1. どんなにいいことでも考えさせずに強制することに反対。
  2. 「日の丸」「君が代」は戦争で使われていた。アジアの人と仲良くしたい、日本がまた戦争をしないため。

一つ目の理由はよく分かるが、君が代を強制される前から着席/歌わない教師はいたはずである。そういう教師がいるから「強制」するようになったのだろう。もし、「強制」を止めたら起立して歌うようになるのだろうか?たぶん、そうはならないでしょう。
上記では、ついでのような形で書かれていますが、二つ目の理由が本当の理由なのだと思う。ただ、非常に分かりづらい。教師なのだし、自分の意見ぐらい明確に述べて欲しい。「再び戦争をする国に日本をしてはいけない」とあるが、「日の丸」「君が代」つまり国旗・国歌に敬意を払うと、どうして日本は戦争をする国になるのか。確かに60年前の戦争のため、日本の国旗や国歌に良い印象を持っていない人はいるでしょう。しかし、それはどこの国にも言えることである。今まで戦争をしたことのない国があるのだろうか。そんな理由を持ち出すならどこの国でも国歌を歌えなくなってしまう。それから、「君が代」が天皇を讃える歌というのは一つの解釈過ぎないと思う。まあ、戦前、戦時中はそう言っていたし、今でも多くの人はそう思っているのかも知れないが、少なくとも私は違う。それから、「日の丸」「君が代」に敬意を払っても、それは日本国に対するものであって、間違っても日本政府やましてや教育委員会とかいう組織ではない。だから、そんなところから、国旗掲揚や国歌斉唱を強制される憶えはないと思っている。

なお、子供たちに「日の丸」「君が代」の歴史を学ばせると言うことには賛成。ただ、60年前の歴史を強調するのではなく、なぜ「日の丸」が国旗として使われたのかや「君が代」の出典をを知れば興味を持つ子供が増えると思う。

残念ながら、「日の丸」「君が代」反対の教師の意見は、上記だけしか見つけられなかった。ところで、なぜ、他の教師はネットで自分の意見を公表しないのだろうか。ネットほど少数意見を発表するのに適した媒体はないのにもかかわらず、である。


それにしても、今回の裁判結果に反対の人も多いらしい。「教師(公務員)なんだから指示に従うのが当たり前。」「そんなに嫌なら教師にならなければ良かったのに。」などの意見が結構ネットで見つかった。
こういう意見は、「人々の価値観は同じ」という考えがベースにあるのだと思う。つまり、自分が正しいと思うことは他の人にとっても正しいに決まっているという考え方。どっかの都知事もそうなんだと思う。こういう人が一度権力を握ると誰にも止められなくなるから怖い。

今回のことでドイツのことを調べてみたが、ドイツのナチスによる一党独裁は全て合法的に行われたらしい。選挙での議席数は、全584議席中196議席に過ぎなかったのでたぶんナチスへの反対派も少なからずいたと思うが、粛正が怖くてモノが言えなかったようだ。「鉤十字の党旗を国旗とし、党歌「ホルスト・ヴェッセルの歌」は全国で歌われた。」とのこと。独裁国家というのは、国旗や国歌が好きらしい。日本もかつてそうだった。日本にミサイルを撃ち込みたがっている独裁国家も国民は全員、国歌を歌えるに違いない。国旗を掲揚したり、国歌を歌うことは決して間違っているとは思わないし、逆にそうすべきだとさえ思っているが、そうしない「変な人」が1%程度ぐらいいるのが普通の国だと思う。もし、変な人が誰もいない国があったとしたら、それは国が変なのだろう。
ナチスの合法的というのもポイントだと思う。今回の国旗掲揚君が代斉唱問題では、法律で決まっていることを根拠にしている人もいるようだが、その考え方の前提には、「法律で決まっていれば何をしても良い」という考えがある。例え、法律で決まっていても、法律が間違っていることもあるし、法律の運用方法が間違っていることもある。だからこそ、裁判所というところがあるのだし。
それから、ナチスの一般党員で一番多い職業は「小学校教師」だったそうだ。なかなか興味深い。

学校への君が代斉唱・日の丸掲揚の強制を憂慮する会・資料

面白い資料を見つけたので参考に掲載する。こういうふうに年表形式にまとめると、一つの流れが見えてきて分かりやすい。しかし、こういうのを見ると日本は本当に大丈夫かなと思えてくる。

中でも、所沢高校の記載が興味深かった。

1997年12月18日
所沢高校職員会議、生徒会総会の決定を承認。


1998年01月08日
卒業式の代わりに卒業記念祭を行うという案を内田校長によって否定された所沢高校生徒会、「校長先生に対する一連の行動に対する抗議」で「第一に、生徒会総会と職員会議で決まった行動に対して、まったく無視するかのような発言や行動をとったこと。そして第二に、民主主義の基本である話し合いにも応じないこと」の2点を挙げて抗議([6]p58-59)。


1998年03月09日
所沢高校では校長主導の卒業式が行われたが、卒業生の出席は20名、在校生の出席は11名のみで、その後行なわれた生徒主催の卒業記念祭に卒業生の多くは参加([6]p.71-74)。


1998年07月17日
東京都教育委員会、職員会議を議決機関から校長の補助機関に引き下げ、その設置も校長の決定に委ねることなどを規定した「東京都公立学校の管理運営に関する規則の一部を改正する規則」(1998年度東京都教育委員会規則第40号)、「東京都区市町村立学校の管理運営の基準に関する規則の一部を改正する規則」 (1998年度東京都教育委員会規則第41号)を公布、同日施行([12]Pl26-129)。

(強調は引用者)

生徒会主導で卒業式の代わりに卒業記念祭を行うことを校長に提案したが相手にされずに抗議、そして卒業記念祭を実施したが、東京都教育委員会というところが、職員会議を設置するかどうかを校長が決めることに決まりを変更したとのこと。これが、教育者のすることかと、唖然としてしまう。ネットで所沢生徒会の会報FREE(第22号第43号)を見られるが、非常に生き生きと活動しているのが見るだけで伝わってくる。しかし、残念ながら、2002年11月24日を最後に更新されていないようだ。所沢高校のオフィシャルホームページというのもあるが、こちらからは以前のページのような躍動感は伝わってこない。こういうのを見ると、生徒の自主性を殺しているのは教師なのではないかと思えてくる。


だらだらといろいろ書いたので、まとまりがなくなってしまったが、まとめると、「民主主義とは何なのかをもう一度考えてみませんか。」と言うことになる。
民主主義 - Wikipedia

民主主義(みんしゅしゅぎ)とは、個人の人権(自由・平等・参政権など)を重んじながら、多数による意思をもって物事を決める原則をいう。

(強調は引用者)

今回の判決に反対の人はこと「君が代」に関しては「個人の人権」は無視されても良いと思っているように見える。私も「君が代」は歌った方が良いとは思うし国歌斉唱で起立しない人の理由には納得できないが、それを罰則付きで無理矢理従わせるのは、もっと問題だと思う。
私は直接見たわけではないが、60年前も権力者や多数の意見に従わない人を「非国民」呼ばわりして排除し、過ちを犯したのではないのか。再び同じ過ちを繰り返そうというのだろうか。