マスメディアを巫女と崇めた結果が、報道の自由51位なのか

マスコミがないと成立しない日本の「YouTube」 (Web2.0(笑)の広告学):NBonline(日経ビジネス オンライン)

この記事の以下の部分を読んで唖然としてしまった。

マスコミがないと成立しない日本の「YouTube」 (Web2.0(笑)の広告学):NBonline(日経ビジネス オンライン)(2)

日本のメディアの報道を見ていて思うのは、彼らこそが「共同体の共通ストーリーの語り部である」ということです。亀田3兄弟の報道が典型で、あの疑惑の判定の一戦を境に「共同体(世間、と言い換えてもいいですね)の彼らに対する共通幻想」が、ある方向から別の方向へ変わりました。

 そこに異論を挟むのではなく、むしろその流れに乗って増幅していくマスメディアの報道は、ジャーナリズムというよりも、ムラ社会の巫女のような存在なのではないか、という気がします。

亀田3兄弟への批判は試合内容と判定結果という事実を受けて、広がったものだろう。
どうしてそれが、「マスメディア=巫女」に繋がるのか。
巫女 - Wikipedia

巫女、または神子(みこ、ふじょ)とは、神に仕える女性のこと。女性の巫(かんなぎ)・巫覡(ふげき)のこと。

元々は神の言葉(神託)を聞き他の者に伝えることが役割の女性たちであり、古来より男性優位の社会においても世俗の王を超える権威を持っていたケースが多かったと言われる。

もしマスメディアを巫女と例えるなら、巫女に神託を与える神は何になると言うのだろうか。

再び、冒頭の記事から引用。

また我々受け手も、巫女の話を聞いて安心するわけです。「テレビでこんなこと言ってた」というのは、ブロガーの記事に実に多く見られるパターンです。そもそもテレビそのものが、朝の情報番組では「朝日新聞では」「読売新聞では」と他社のメディアのニュースを壁一面に貼り付けて、アナウンサーが記事を指さしながら番組をつくっています。

ブロガーがテレビや新聞を参照するのは、それがニュースのソースだから。
テレビの朝の情報番組が新聞を参照するのは、自分で取材をしていないので、他のメディアにニュースソースを頼るしかないから。
我々が巫女の話、つまりマスメディアの報道を聞いて安心する?
テレビで「最近は若者による凶悪犯罪が増えた」と言えば、ネットでは全く反対の客観データが出てくる。
テレビで「韓国人学生が命がけで線路に転落した人を救助」と言えば、ネットでは駅員さんによる「線路に降りないで緊急停止ボタンを押して欲しい」という話が出てくる。
ウソ/ホント/隠蔽を巧妙に織り交ぜるマスメディアの報道は、とても安心して聞いていられないと思うが。

再び、記事から引用。

「これは共同体的にOKだよ」という宣託をくれるマスメディアの巫女性というのは、非常に日本的な気がします。もちろん海外のメディアにおいてもそういった部分がゼロだとはいいませんが、受け手サイドの人種や民族がバラバラであったりしますし、ニュースの作り方もより狩猟民族型だと思います。

「受け手サイドの人種や民族がバラバラ」とか「ニュースの作り方もより狩猟民族型」の意味が不明。
「海外のメディア」というのがどこを指しているのかは不明だが(まさか北朝鮮や中国、ロシアは含まれないと思うが)、例えばヨーロッパの多くの国はジャーナリズムがしっかりしてるか、国民のメディアリテラシーが高いか、その両方なのだろう。

再び引用。

ところが報道の現場においても記者クラブという強固なムラの仕組みを持ってしまうところに、日本のメディアの特性が出ています。
これは、マスコミは意のままにネットの世論を操れる、ということではありません。我々は、共同体の巫女としてマスコミを求める傾向が強い、ということです。

「これは、マスコミは意のままにネットの世論を操れる、ということではありません。」。その通り。
記者クラブ」制度というのは、マスコミが国民に流れる情報を自由に操作できると言うこと。もしくは、流す情報を取捨選択できると言うこと。
「共同体の巫女としてマスコミを求める傾向が強い」って、どこから出てきたのでしょう。


こういうマスメディアを理由無く崇める人達が少なからずいるために、日本の報道の自由が失われていったのだと思えてならない。少なくとも多数に影響を与えるようなメディアで「記者クラブ」を肯定するようなことは書いて欲しくない。

低気温のエクスタシーbyはなゆー−「報道の自由」〜右傾化する日本は世界ランキング51位に転落

★いまや日本は往年の言論弾圧でおなじみの南アフリカ、韓国、チリ、ハンガリーよりも「報道の自由のない国」だということである。イスラエルよりもランクが低いというのもすごいことだ。

全くすごいことだ。
これだけを読むと信じられないが、冒頭の記事を分かるような気もしてくる。

このエントリーのおまけ部分に国境なき記者団(RWB)が政府の検閲下でのブログの書き方についてアドバイスしている話が書かれている。

RWBのJulien Painは同手引書の序論の中で、「主要メディアが(政府による)検閲や圧力を受けている国々では、ブロガーだけが真のジャーナリストである場合が多い」とし、さらに「政府の反感を買ったり、時に逮捕される危険を冒してまで、独立した報道を提供しているのは彼らだけだ」と述べている。

日本でも共謀罪が適用されれば、この手引書が必要になるかも知れない。