人は生きるためにその土地に住むのであって、その土地に住むために生きるわけではない。

gettoblasterの日記 - 地方はもうムリなんじゃないか

産業が無く、働く場所も無いような地方でも、社会的な維持費の負担は必要になる。これは非常にもったいない。日本には人手不足で困っている地域もあるのだから、この産業のない地方は放棄し、人手不足の地域へ全員移住すれば、双方にとって良いことではないか、という話。

最初読んだときは荒唐無稽な暴論かと思ったが、コメントやはてブを読んでよく考えてみるともしかしたら正論なのではないかという気がしてきた。感情的なことは横に置いておけば、ここに書かれていることは理に適っている。はてブのコメントの中に「あらゆるモノが中央集権的に集約されて分配される今の時代には異質である「あんな場所」でも自給自足で賄われている時代は住みよかった。昔に戻って自給自足になるか、山を降りるかの選択は間違いじゃない。」とある。現在の価値観だけで考るから違和感があるのかも知れない。
sociologically@はてなさんと厚生労働省のデータによると、日本の人口は以下のように推移してきている。

時代 人口
奈良 560万人
江戸初期 1200万人
江戸中期 3000万人
明治 4300万人
現代 12617万人

sociologically@はてなさん曰く「奈良時代から2倍になるために900年要したものが、江戸時代には100年たらずで人口の倍増という現象がおこっている。」とのこと。この江戸時代の急激な人口増加については、「人口爆発核家族化の背後には、新田開発と農業革命があった」としている。また、江戸中期以降は日本全体では人口変動は一定だったが地域によって差があったとのこと。

江戸時代中期から後期にかけての人口変動は一定であった。しかし、地域ごとに見てみると、四国・山陽・山陰・九州といった今では「過疎」に苦しむ場所で人口増加がみられ、東北・北関東で人口が減少している。

当時は人口を決定する最も大きな要因は食料生産であり、農業技術の発達によって従来農地として利用できなかった土地も開墾できるようになり、そういった地域の人口が増えたのではないだろうか。しかし、新しく土地を開拓するというのは、時間もコストもかかるしリスクもあっただろう。限られた産業しかなかった当時、そういうリスクを抱えても将来に夢を託して行動するというのは現在のベンチャーを立ち上げるような人と同じ種類の人達だったのではないかと想像してしまう。仮にもし、この時代にホリエモン村上ファンドの村上氏がいたら、人から受け継いだ資産(畑でも店でも)を守って一生を終えるとは到底思えない。新しい富を求めてあらゆる手段を尽くしたのではないだろうか。
当時、人々は生きるために土地を開拓してきたが、今は土地を開拓しても生産性は上がらない。その代わり、当時とは比べものにならないほど産業の種類が増えた。ほとんどが農民だった江戸時代と違って、今は多種多様な生き方が可能になった。江戸時代のフロンティアは新しい農地の開拓だったが、今は全く別種のフロンティアがある。
夕張は炭坑の町として発展したが炭坑が価値を失ったとき観光の町に生まれ変わることを望んだ。しかし、結果的には公共事業の町になり、借金だけが残ってしまった。過疎化に苦しむ地方も農業という価値が失われたために人が離れてしまっているのだと思う。
「町おこし」や「地域振興」というスローガンの元に地方に産業を呼び込もうという運動があるが、これは話が逆だと思う。農業に適した土地や炭坑という"資源"があるからそこに人が集まり、村や町が生まれるのである。村や町がどんなに努力したところで、何もないところから産業を生み出すことはできない。何も産業が無いところで生活しようとするから、仕事を作るために公共事業が必要になったりするのだろう。
江戸時代は新しい農地を増やすことで人々の食い扶持を増やしてきたが、今は新しい産業やビジネスを生み出すことで食い扶持を増やすことができる。

最後に、私の実家も農業くらいしか産業がない自他共に認める地方(正月に帰省したら町内に24Hのコンビニ1件と夜中は閉まるコンビニ2件があった、信号機はいくつあったかな)なのだが、心情的にはいつまでも今のまま残っていて欲しいとは思う。しかし、町内で一番立派な建物が町役場という状況からして、いつまでも今のままとは行かないのだろうな。