成果主義を導入して失敗しているケース

最近、ネットの記事で成果主義を導入している企業の業績がうまくいっていないという話をよく見るようになった。

いわゆる年功序列のように、長く会社に勤めている人が一律に給料が高く、例え能力や成果を残しても入社数年の人は給料が低いというのはおかしいと思う。また、長く会社にいるだけで残業代として給料が増え、逆に同じかそれ以上の仕事をしても効率的に仕事をして定時に帰ると残業代を貰う人より給料が低くなってしまう。これもまた、おかしいと思う。

しかし、だからといって過去の経緯を全部無視したような極端な「成果主義」を導入するのはどうかと思う。今の仕組みがベストとは思わないが、だからといって現在はこの仕組みで動いているのだから、それと真っ向から対立するような概念を急に導入したら、混乱するのは目に見えている。もし成果という視点を導入するなら、成果主義の仕組みを立案した担当者の成果(責任)やその導入を決めた経営者の成果(責任)が問われなければおかしい。


備忘録的な意味で、ネット上の失敗事例をを書き留めておく。

ソニー

ソニーの「燃える集団」もあきらめかけていたもの

文藝春秋に掲載された土井氏の論文によると、ソニーが輝いていた時代と現在との違いを一言で言うと「燃える集団」がなくなってしまったことだという。その原因として数値化による成果主義が導入されたことを掲げている。かつては「仕事そのものが報酬だ」とするエンジニアたちの「燃える集団」がソニーらしい製品を世に送り出していた。ソニーが輝いていた時代には、そうした「燃える集団」が井深氏ら経営陣の掲げる非常識ともいえるストレッチ(背伸びをした)目標を次々と実現してきたのに対し、今や数値化された成果主義に基づく評価手法の導入で逆にそうしたソニーのDNAが破壊されてしまったのだという。

富士通

Wikipedia - 成果主義

成果主義に基づく評価制度を他社に先駆けて導入したが、評価の失敗を恐れ長期にわたってチャレンジをしなくなるためヒット商品が生まれにくくなった、アフターケアなどの地味な業務がおろそかになりトラブルが増えたなどの弊害が増える結果になった。

内側から見た富士通「成果主義」の崩壊 (ペーパーバックス)

内側から見た富士通「成果主義」の崩壊 (ペーパーバックス)

ナムコ

Wikipedia - 成果主義

売上成果の多い人気作作成に関わっていたスタッフにはボーナスがプラスされる一方で、売上成果の少ない作品作成に関わっていたスタッフからはボーナスをカットされた結果、ほぼ全員が人気作の次回作製作部署への配属を希望、人気作品製作の仕事の奪い合いになりオリジナルの新規製品がほとんど作成されなくなった。更に大量の人員が人気作品製作に加わったせいで、人気作の次回作が短期間に大量製作され、それによる一つ一つの作品レベルも落ちてしまう結果となったり、手間がかかるソフトチェックも疎かになり『ソウルキャリバー3』のような致命的なバグを残したまま市場にソフトが出回る不手際が発生した。

GEIMIN.NET/コラム

しかし、結果としてこの成果主義がもたらしたものは想定とは違うものであった。それは、「人気作品へのリリース集中」。つまり、社員の考えとしてはすでに安定した人気作品を持っている部署に行くことで、自分が関わったソフトの売上の安定を期待でき、それによって自分の報酬も安定させようというわけだ


おそらく同じ様な話はそれこそどこにでもあると思われるが、具体的な実例は上記しか見つからなかった。他にも見つかれば、追記していきたい。