悲観主義と楽天主義

コップに半分残った水を見て、「まだ半分ある」と思うだろうか、それとも、「もう半分しかない」と思うだろうか。これは、英語で「Glass Half Empty or Half Full?」という定番の言い回しになっているとのこと。(Wikipedia-楽天主義)

池田信夫さんのエントリーでは日本と世界の常識の違いが書かれていて、「グローバル化」と「人口減少」という問題認識はどちらも同じにも関わらず、その捉え方は全く逆となっている。
ここで紹介されている世界の見方は、「グローバル化」と「人口減少」は課題であると同時に日本企業が世界に出ていくチャンスであると考え、外国資本を利用してリストラ(単なる人切りじゃないやつ)すべきというものだが、日本の財界の見方は企業合併を阻害し消費税を上げるというもの。消費税率のアップは企業の利益が下がることで税収も減少することを想定したものなのだろうか。
たぶん、コップに半分残った水を見たら、この外国人は「まだ半分ある。これをどう使うのが一番良いかを考えよう。」と言うと思うし、日本の財界は「もう半分しかないじゃないか。誰もこれ以上飲んではダメだ。」と言ってコップの管理は自分たちがすると主張するに違いない。
この前、梅田望夫さんのエントリーでこの悲観主義と楽観主義について書かれていた。定義集という本によると、悲観主義は自然的なものでその根底は人の意志を信じないということであり、楽観主義(オプティミズム)は生来の悲観主義を退けようとする意志的判断とのこと。この定義を読むと日本の財界に、全く意志がなく、何も判断していないことがよく分かる。

企業買収を悪とか弱いものいじめの様に捉えたり、投資ファンドや個人のトレーダーを「額に汗して働く人」と対比させてマネーゲームと批判するのが顕著になったのはライブドアによる企業買収やホリエモンの逮捕の頃のように思う。あの時、マスメディアはライブドア虚業というレッテルを貼り買収される側のニッポン放送側擁護の論調を展開していた。ニッポン放送によるフジテレビへの大量の新株予約権の発行という非常識な対応に対してはマスメディアはほとんど批判はなかった。
今の日本の悲観主義(ペシミズム)は日本の財界人が主張しマスメディアが後押しすることで、維持されているように思える。テレビという放送による動画配信装置しか情報を得る手段のない人達はマスメディアの情報を信じるしかないのだろう。
来週3月15日にホリエモンに対する判決が出ることになっている。最近、警察による誤認逮捕の報道を良く聞く。先週の報道特集で鹿児島県の県議会選挙に買収があったとして逮捕された12人の被告全員に対し無罪の判決を言い渡したことを報道していた。この事件では客観的証拠は何もなく、約436〜737時間による尋問によって得られた証言だけだったとのこと。ホリエモン逮捕では強制捜査時にテレビの生放送をしたり、ライブドア上場廃止など、いろいろな意味で社会に与えた影響は大きかった。ホリエモンが無罪となった場合、この責任は誰がとるのだろうか。