ステージは観客ではなく表現者のためにある

クリプトン・フューチャー・メディア初音ミクの記事が面白かったが、いくつか違和感がある部分があった。

100万回再生されて一番嬉しいのは誰か?

ただ「ニコニコ動画」上で行われているような、無報酬で“勝手に”利用され続けるという形だと、作家が不満を覚えたり傷つくこともある。自分の曲がいつどこで改変されるか分からず、100万回再生されても1円も入らない状態は、健全といえるだろうか。

クリプトン・フューチャー・メディアに聞く(4) 最終回:JASRACモデルの限界を超えて――「初音ミク」という“創作の実験” (1/3) - ITmedia NEWS

自分の作った作品の価値が多くの人に認められて、100万回も再生される。それだけで奇跡のように嬉しいことでないのだろうか。おそらくその人にとって、その日は一生忘れられない思い出になると思う。それこそお金に換えられないような。

ブログ書いてるんだから不特定多数が目にするのなんて当たり前だし、コメントされるのも当然で、しかも微々たる数なのに、なんかもうアホかってほどドキドキが止まらなくて一瞬どうしていいかわからなくなった。手のひらに汗かいてる始末。WEBでは毎秒流れていくありふれた出来事なのに、自分のことになった途端なにこのインパクト。

http://blog.44gi.com/?eid=505442

このエントリを読んで自分のエントリが初めて引用された時のことを思い出した。なんだろう、理屈じゃなくストレートに「嬉しい」の原液みたいのが沸いてきてドキドキしてしまう。実社会で褒められた場合には、必ず、属人性がついて回る。自分の属しているコミュニティーと切り離されることがないから、「お世辞」とか「損得」がついて回る。ネットの場合は不特定多数だから、本来の意味で客観的な評価が下される。そんな場で、自分の作品が100万回も再生されるようなことがあったら、どうなるか想像もできない。

どちらかと言えば、「100万回再生されても1円も入らない状態は、健全といえるだろうか。」と疑問を持つ方が健全とは言えないと思う。たぶん、この状況で一番嬉しいのは間違いなく作者。視聴者も良い作品を観ることができたから得したと思っているだろうけど、その何倍も作者は嬉しいはず。だから作者が「タダ見は禁止」と言うとは思えないが、視聴者が作者に「お礼」をするのは勝手だと思う。何を言いたいかというと、ニコニコ動画には早く投げ銭機能をサポートして欲しい。投げ銭をしたい作者が両手で足りなくなっている。ポイントを換金することが法律上の問題があるなら、はてなの様にアマゾンギフト券と交換できるようにすれば良い。

また、「無報酬で“勝手に”利用され続けるという形だと、作家が不満を覚えたり傷つくこともある。」というのが嫌なら、作品を公開しなけれ良い。コンテンツを公開しておいて勝手に利用しないで下さいというのは、ネットに記事を公開しながら「無断リンクお断り」や「トップページ以外はてブ禁止」と言っているのと同じに聞こえる。こういう意味のない悩みや不満を抱えるのは、出版や放送のビジネスモデルに洗脳されているのが理由のように思える。彼らは引用されたり参照されるたびに出所不明の損害額を主張しているのだから。だったら、出版も放送も止めてしまえといつも思う。

コンテンツの値段

 「『Googleはすばらしい』という本が売れ、『何でもオープンにしようよ』という人たちが現れている。オープン化には賛成するが、『コンテンツはタダ』という発想に、作る側として違和感を感じざるを得ない」

クリプトン・フューチャー・メディアに聞く(4) 最終回:JASRACモデルの限界を超えて――「初音ミク」という“創作の実験” (3/3) - ITmedia NEWS

有名な絵画が数億円〜数十億円で取引されたとニュースになることがあるが、絵画にそれほどの値段がつくのはそれがオリジナルだから。昔(今もか?)、お茶漬けのオマケに有名絵画の絵が入っていたが、”絵”は同じでもオリジナルの何十分の一の値段すらない。要は、”絵”の情報に値段はつかず、媒体やモノに値段がつく。もちろん、コンテンツを作るのにもコストがかかるが、今は情報を限りなく低コストで複製することができる。今後、コンテンツそのものの値段はなくなり、オンラインゲームのようにサービス化していくと思う。情報そのものではなく、いかにその情報を活用できるのかに値段がつく。そういう意味で、コンテンツは無料で提供しつつプレミア会員からの会費とCM、アマゾンアフィリエイトとを組み合わせているニコニコ動画は強いと思う。