道徳と法律の違い

世の中には「よくないこと」は、無数に存在する。
そして、「良くないこと」と「良いこと」は表裏一体の場合が多い。

この「ぽぽたんダンス」もそう。ぽぽたんダンスのことは何も知らずに上記動画を観た人は、陽気な外人達が楽しそうに奇妙な踊りを踊っていると思うだろう。そして、この踊りのソースが日本のアダルトPCゲームだと聞いたなら驚くに違いない。

(2)被写体が実在するか否かを問わず、児童の性的な姿態や虐待などを写実的に描写したものを「準児童ポルノ」として違法化

アニメ・漫画・ゲームも「準児童ポルノ」として違法化訴えるキャンペーン MSとヤフーが賛同 - ITmedia NEWS

こんな法律ができたら、どれほどの容疑者予備軍が生まれるか想像もできない。見方によっては海で遊んでいるの子供の写真ですら該当しかねない。この容疑だけで逮捕されなくとも、痴漢の容疑者の家を家宅捜査して、子供が登場する写真や本が見つかれば警察はそれを証拠物件として押収するだろうし、マスコミはおもしろおかしく報道するだろう。

法と道徳とが全く無関係でないことを前提に、法が行動に干渉する根拠について社会道徳それ自体の維持を強調する見解があり、法的モラリズム (legal moralism) と呼ばれる。この見解を貫くと、個人の行為が他者に対する侵害を伴わない場合であっても反倫理的という理由により干渉することが可能になるため、個人の自由な領域の確保という点で問題が生じる。

法 (法学) - Wikipedia

現代は、人は一人では生きられない。いろいろな考え方を持った人がお互いに関係しながら生活している。自分は、社会説活を送るための最低限、守らなければならないルールが「法」であり、人によって判断が分かれるルールが「道徳」や「モラル」だと思っていた。しかし、上記のWikipediaによると、道徳的でない人は牢獄で暮らさなければならないと考える人が少なからずいるらしい。その考えを突き詰めると、修道院やお寺のお坊さんのような生活をすることにならないだろうか。

結論。

日本ユニセフ協会のサイトに記載されたクエール文書は、ほぼ全文に渡って詭弁と強弁と印象操作とすり替えと論理飛躍と欺瞞の見本市となっている文章でした。

http://d.hatena.ne.jp/umikaji/20080315/1205591913

日本ユニセフ協会のサイトに記載されたクエール文書についての見解は上記エントリと同感だが、だからといってこの文書を書いた人の頭が悪いとか、能力が低いとは思わない。逆に、児童虐待とインターネットやマンガを結びつけるために、非常にがんばって書いたなと感じた。この文書は、結論ありきの文書を書くとひどい文書になってしまうという見本だと思う。

彼らが何のためにこんなことをしているのか分からないが、彼らの主張に対して、馬鹿正直に「児童ポルノ禁止 反対」と言うことは犯罪者予備軍として扱われるのがオチだろう。
やはり、言い古されたことだが表現の自由を主張し続けるしかないと思う。

ナチの連中が共産主義者達を連れて行った時、私は黙っていた、

私は共産主義者ではなかったから。

彼らが社会民主主義者達を拘留した時、私は黙っていた、

私は社会民主主義ではなかったから。

彼らが労働組合員達を連れて行った時、私は黙っていた、

私は労働組合員ではなかったから。

彼らがユダヤ人達を連れて行った時、私は黙っていた、

私はユダヤ人などではなかったから。

そして、彼らが私を連れ去った時、私のために抗議してくれる者は、

誰一人残っていなかった。

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