ケータイ小説という疑似体験 −あたし彼女(著:kiki)−

話題の第三回日本ケータイ小説大賞受賞作品「あたし彼女」を読んでみた。

ネット上では、ホットドックの早食いみたいな読み方をしたりとか、上っ面の言葉だけを見て茶化してみたりとかといった感想が多いので、変に誤解している人もいると思う。そういう人の誤解を解くための手助けができればいいなと思いながらエントリを書いてみる。

アタシ

アキ

歳?

23

まぁ今年で24

彼氏?

まぁ

当たり前に

いる

てか

いない訳ないじゃん

みたいな

彼氏は

普通

てか

アタシが付き合って

あげてる

みたいな

あたし彼女 プロローグ P.2

この小説で目に付くのは、この独特の表現。独り語り、改行の多用、句読点なし。今までケータイ小説を読んだことがなかったのでいくつか他の作品も見てみたが、こういう書き方をしているのはこの作品だけらしい。こういうのを見た人は、「まともな日本語すら書けないのか」と思うかもしれない。しかし、この作品の後書きを読むと作者が意図的にこういう表現を使っていることが分かる。

読みやすいお話を書きたかった
分かりやすいお話を書きたかった
だけど
書いて気付いた
感情伝わってる?
はてしなく不安がつのりました。
だけど、伝わっていないのは自分の力が無いだけで読んでくれる皆様は何にも悪くない!
そぉ思いとにかく一生懸命書かせてもらいました。

あたし彼女 あとがき P.425

携帯電話の画面という様々な制約のあるインターフェイス上で、自分が読者に伝えたいことを表現するのに最適な方法は何かを考えて、「発明」したのがあの表現だったのだと思う。
友人間のコミュニケーションの多くが携帯電話でなされるという状況があるなら、普段の口語調による独り語りというスタイルは、読者に登場人物本人、もしくはその友人という疑似体験をリアリティをもって体験させる効果がある。

また、携帯電話の画面という特徴を活かした表現も良かった。メールの引用は実際のメール画面と同じなのでとても臨場感があるし、改行や改ページを自由に使えるのでシーン変更では効果的に改ページを使っていた。こういった改行や改ページといったテクニックは携帯小説では当たり前なのかもしれないが、紙媒体を前提とした小説では難しいと思う。どちらかと言えば、漫画に近い表現のような気もする。

ストーリー自体は、プライドだけは人一倍高いわがままな「お姫様」が真実の愛を知り、様々な苦難を乗り越えて幸せを手に入れるという、ありきたりな話なので、次のように「現代語訳」してしまうと、とてもつまらない作品になってしまう。

この作品の価値はその登場人物たちのリアルで生き生きとした心理描写にあるので、舞台設定とかストーリーはあまり気にしない方が楽しめると思う。


なお、自分は携帯電話を持っていないので最初の2〜3ページはPCで、その後はiPhoneで読んだのだが、iPhone携帯小説の相性は良く、サクサク読めた。残念だったのはページの切り替わり毎にダブルタップが必要だったことと絵文字が表示されなかったこと。しかし、読み終わった後に、オリジナルの携帯小説の投稿サイトはPCやiPhoneでも絵文字が表示されることが分かり、少し損した気がした。また、オリジナルサイト(Books Legimo)の「あたし彼女」トップには以下の写真が置いてあった。小説を読んだ人ならこれが何かすぐ分かると思う。

あたし彼女_1

あたし彼女_2

そう言う訳で、PCやiPhoneでこの小説を読む場合、Books Legimo側の「あたし彼女」をお薦めする。

たぶん、この作品は書籍化されたり、もしかしたらテレビドラマ化や映画化もされるのかもしれないが、余り期待はできないと思う。繰り返しになるが、この作品の価値は登場人物たちのリアルな心理描写と携帯画面を活かした独特の文書表現(文字表現)にあるので、ドラマ化すると現代語訳のようにそれらの価値が失われてしまう。熱心な作品のファンにとっては関係ないのかもしれないが。

今回、他の携帯小説も読もうとしてみたが、最初の数ページで挫折してしまった。たぶん、この作品が自分で読んだ最初で最後の携帯小説になると思う。