Googleと「土管」と観光産業

水が飲みたいなら蛇口をひねればいい。情報が欲しいならググればいい。水は土管の中を流れるが土管が水を作っているわけではない。情報はGoogleを通じて知ることができるが、Googleが情報を作っているわけではない。エンドユーザーが欲しいのは水や情報であって、土管やGoogleは欲しいものを得るための手段/道具に過ぎない。

ビジネスにおける勝利の方程式として、市場を独占する、デファクトスタンダード業界標準)を握る、というのがあります。新聞社、テレビ局、マイクロソフト等々、やり方は何でも良くてとにかく市場をコントロールする力を持つことができれば、その市場が続く限り安泰となる訳です。
しかし、独占には大きなリスクを伴うことが、日本の国家プロジェクト:通称ガラパゴス・プロジェクト(今、勝手に命名しました)で判明しました。官民一体となって、携帯電話の独占市場を作り、高機能&高価格にも関わらず年間5千万台(人口は1億2千万人しかいないのに)もの携帯電話が売れる市場にまで育てあげました。おそらく、当初、予定していた以上の成果だったのではないでしょうか。予定外だったのは、高機能携帯が海外で相手にされなかったことと、高機能OSを搭載したスマートフォン市場の登場でしょう。まさにパソコンのように何でもできる高機能ワープロは作れても、パソコンそのものになることはできずに消滅した日本のワープロ市場を彷彿とさせる状況です。市場でより多くのシェアを握り、市場を独占することは企業にとって有利に働きますが、だからといって企業の競争力が高まるわけではありませんん。

エンドユーザーにとって価値があるのは「水」であって「土管」ではありません。Googleの新検索エンジンニュースになったり、Appleが大規模なデータセンターを作っているというニュースを聞いたり、クラウドという言葉が流行ったりしても、要は「土管」の種類が増えるだけのような気がしています。結局はコンテンツを作る人がいないと何も生まれてこないわけです。

ステレオタイプなイメージかも知れませんが、欧米人は物事をシステム化するのが得意で、日本人は顧客の事細かい要求に合わせてカスタマイズするのが向いているという話を聞きます。これが本当だとすれば、ネットでの行われているグローバルなルールやシステムを次々と標準化していくようなことは、一般的に日本人の性分には向いていない気がします。だったら、日本人が向いていると考えられるコンテンツ制作に注力するのがより賢い選択ではないでしょうか。

いつになるか分かりませんが、やがてネットを巡る「土管」の競争も行き詰まる時がくると思います。その時、市場を左右するのは「土管屋」ではなくコンテンツを持っている人、コンテンツを生み出す能力を持っている人だと思うわけです。HD DVDとブルーレイの次世代ディスク競争の時も実質的な決定権を持っていたのはハリウッドの映画会社でした。

日本のコンテンツは特定の国に限らず、ある種の普遍性を持って幅広く多くの国で人気がありファンが増えています。そして、根強いファンはコンテンツだけでなく、日本という国そのものにも強い興味を持ってくれているようです。フランス人の少女2人組がロシアを横断して日本に入国しようとしたという記事もありました。少女も大人になれば、日本を旅行することはそれほど難しくないでしょう。Wikipediaによると2007年6月時点での世界の人口は66億人だそうですが、その1%でも毎年日本を訪れてくれれば年間6,000万人の旅行者を得ることができます。様々な業種をすりあわせで調整してトータルとして高いサービスを実現する観光産業は結構、日本人の国民性に合った産業のように思うのですが、どうでしょうか。

日本人が世界中の人に楽しんでもらえるコンテンツ・文化を作り、それらを欧米人の作った安く便利で効率的なシステムを使って世界中に配信し、裕福な人たちや熱心なファンに日本に遊びに来てもらうという未来はそれほど悪くないと思います。

ただ、日本ならでは観光産業が以下のようなものばかりになっているという未来はちょっとどうかなとも思うのですが、お客さんが満足してお店も儲かるのであれば、それはそれでありかなとも思います。