第二の脳へ向かうカメラ

「Hanako的写真講座〜いつもとひと味違う写真を撮ろう〜」

Wiiの間に余り見慣れないコンテンツが掲載されていたので観てみたら、いろいろ考えさせられました。タイトルは「Hanako的写真講座〜いつもとひと味違う写真を撮ろう〜」。HanakoはWikipedaによるとマガジンハウスが出版する雑誌で、1988創刊後数年は『Hanako』『Hanako族』などの言葉が流行語大賞を受賞するなど人気がありましたが、最近は低迷気味のようです。
10分程度の番組で、要約するとブログ用のセンスの良い写真をニコンのコンパクトデジカメを使って撮るコツを紹介する内容です。

コツを教えてくれるのはフォトグラファー 野川かさねさん。(参考1参考2参考3

そして生徒さん役はホリプロの方々でした。
武藤乃子さん。(参考1参考2

羽田沙織さん。(参考1参考2

そして、番組で使われるコンパクトデジカメ(コンデジ?)はニコン(COOLPIX S640)

番組中、生徒さん役の人が「近くに行くとブレちゃいますね」と言うと先生はすかさず「それはピントがあってなくてぼけてるんですよ。その場合は料理モードがあります。」とアドバイスをします。他社メーカーなら被写体を自動識別して、近接や風景などの様々なモードに自動で設定をしてくれるのに、ニコンの最新機種はマニュアル設定が必要なようです。

世界のデジカメ市場

デジカメ市場は「レンズ交換式一眼レフ」と「レンズ一体型」の2種に大別できるそうです。

以前から不思議だったのですが、なぜ普通に「レンズ交換式」と「レンズ一体型」ではないのでしょうか。なぜ「一眼レフ」がくっついているのでしょうか。少し調べてみて分かったのは、カメラの歴史においてレンズを通して見える画像と同じものを撮影者が事前に見るというのは長年の夢だったということでした。カメラの原点である「カメラ・オブスクラ」では暗室に投影された画像を元に画家が絵を描いていました。しかし、画家からフィルムに置き換わったのと同時に、記録される画像を人は見ることができなくなりました。一つの解決策はレンズを二つ用意すること。つまり二眼カメラです。そして、もう一つの解決策が鏡を使うことで、撮影者が除くファインダーとフィルムで一つのレンズを共用することでした。これが一眼レフカメラです。

ただ、複雑な構造と高い精度、技術が要求されるために小型化や低価格化は困難でした。その状況が一変したのはデジタルカメラの登場からでした。フィルムを撮像素子に置き換えることで、撮影画像と同じものを簡単に見ることができるようになりました。当初は技術的に未熟でしたが、今ではすっかりフィルムを置き換えてしまったようです。まるで機械式時計をクォーツ時計が置き換えてしまった時のようです。
デジタル化による技術革新が進んだ結果、カメラは

  • 低価格化
  • 小型化
  • 高性能化

しました。
一眼は当たり前になり、「一眼レフ」のレフが意味する「鏡」の価値は実質なくなりました。一眼デジタルカメラの規格「フォーサーズシステム」では鏡がありましたが、後継規格の「マイクロフォーサーズシステム」では鏡をなくすことでより小型化が可能になりました。しかし、同時に「一眼レフ」ではなくなり、「デジタル一眼」となりました。

面白いのは、以下の記事では鏡のない「マイクロフォーサーズシステム」に準拠したパナソニックの「LUMIX DMC-G1」を一眼レフ市場に組み込んでいることです。

*(注)パナソニックの「LUMIX DMC-G1」は一眼レフ市場の数値に組み込まれている。

http://ascii.jp/elem/000/000/206/206191/

鏡がないのに鏡を意味する「レフ」の名前の付いた市場に分類するのはどう考えてもおかしいのですが、たぶん、宗教に近いものがあるのではないかと思います。おそらく、市場の分類も近いうちに「レンズ交換式」と「レンズ一体型」に変わるのではないでしょうか。

融合する動画と静止画、カメラの原点へ

最近のカメラは動画機能がトレンドのようです。

中山氏 誰も彼もが所望の画像をスッと撮れる。これこそがカメラの理想形です。画像は,静止画でも動画でもいい。静止画は動画から取り出したものかもしれない。加えて将来のカメラは,ユーザーに「ここではこの静止画(または動画)を残してはどうでしょうか」と提案する機能も備えるでしょう。

「本当はカメラにシャッターなんていらない」,カシオの超高速機,その狙いと先にあるもの(前編) | 日経 xTECH(クロステック)

映像クリエイターにとって、写真用のレンズ+フィルム並みの撮像面積で動画が撮れるというのは、写真系の人が想像する以上にインパクトのあるソリューションである。先月行なわれたNABでも、CANONEOS 5D MarkII」をシネマ撮影セットにビルドアップするソリューションがいくつか展示されたことからも、その本気度が伺われる。
(中略)
CanonNikonのフルサイズ一眼にこれらの機能が付いたら、もう動画業界は大変な事になる。

【小寺信良の週刊 Electric Zooma!】第413回:AVCHDで動画が撮れる一眼、Panasonic「DMC-GH1」 - AV Watch


キヤノンのサイトで一眼レフカメラで撮影したサンプル動画をいくつか観てみたのですが、まるで映画のシーンのようです。一眼レフカメラのファンにとってはフォーカスのあたっている被写体と背景のボケとのギャップがいいんでしょう。


いろいろ見て思ったのは、「カメラ」とは何かということでした。カメラとは、人が見たものを記録する道具です。静止画や動画というのは技術的な制約で決まったに過ぎません。人がモノを見るとき、景色を眺めるとき、「見ている」と感じている「映像」というのは、眼から入ってきた信号を元に脳が作り出したものです。

次の図はサッカード(視点運動)とよばれる現象の実験で、左側の写真を4分間見ると、右側のように眼球は頻繁に動くが、被験者はまったく静止した写真として知覚する。これは実際には激しくぶれている視覚情報を脳が編集しているからだ。

http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/5f0b1b13e3a48d1bd12e486b5fff6e8d

今、売られているデジカメのほとんどに手ぶれ補正や顔認識機能がついていますが、「入力された情報」を「適切な情報」に補正するというのは脳がやっているに似ています。複数の写真を組み合わせて一枚の広い風景の写真を合成するパノラマ写真がありますが、これをカメラ自身がGPS情報と組み合わせてリアルタイムに行えるようになれば、その場所から見える風景全てを一枚の写真として記録できそうです。Googleストリートビューの機能をカメラが取り込むようなこともできそうです。また、被写体のみに焦点を当てて背景をぼかすような「写真」が「一眼レフ」の価値なのであれば、撮影後にデジタル編集でそれっぽく作ることもできそうな気がします。また、デジタル編集前提で撮影するのであれば、「一眼」よりも人と同じ「二眼」の方が優れているようにも思います。別に3D映像を作らなくても画像との距離が計算できるので編集の幅が大きく広がりそうです。もちろん、面倒な編集は全てカメラ側がしてくれるでしょう。さらに、画素数が今より何桁か増えれば光学ズームの意味も変わってきそうです。映画「ブレードランナー」で登場したような写真の一部だけをどんどん拡大していくようなこともできるかも知れません。

1つ目のアプリケーションは、ギガピクセル級の巨大なパノラマ画像にどんどんズームインできるものだった。シアトルの繁華街から、街に面した入江のピュージェット湾までを一望した写真を拡大表示していくと、街のシンボルとして有名なスペース・ニードル・タワーの展望レストランで食事中の人の姿が確認できるほど細かいところまでズームインできる。

MS社、映画『ブレードランナー』的な仮想現実技術を披露

これまでのカメラは、人の「眼」を目指していたように思いますが、これからのカメラは「脳」を目指していかないと他社と差別化できないのではないでしょうか。それも写真を歪ませたりセピア色に変換するような携帯ゲーム機でもできるようなことではなく、カシオやパナソニックがやっているような利用者が価値が価値を感じるような機能でなければ意味はないでしょう。老舗のニコンもプロジェクター内蔵デジカメを発表するなど新しいことにチャレンジはしているのですが、キワモノっぽい感じがして将来性を余り感じませんでした。


Wikipediaで「使い捨てカメラ」を検索したところ「レンズ付きフィルム」に転送されました。この呼称はリサイクルを強調したいカメラメーカー側の意向のようですが、簡易ながら「カメラ」に対してレンズではなく、情報を記録するフィルムに重きを置くこの表記はカメラの本質を突いていると感心しました。この考え方に従えば、今のデジカメは「レンズ付きメモリ」もしくは「レンズ付き液晶」、「レンズ付きコンピュータ」と呼ぶのがふさわしいのかも知れません。

第二の脳へ向かうカメラ(追記:2009/09/24)

人には5つの感覚、つまり五感(視覚/聴覚/触覚/嗅覚/味覚)が備わっていると言われています。つい最近までカメラには視覚しかしかありませんでしたが、動画対応によって聴覚を備えることができました。しかし、残りの3つの感覚を手に入れるのは難しそうです。
でも、カメラは人が直接感じることのできない様々な情報にアクセスし記録することができます。たとえば日時。そしてGPSやジャイロを経由することで正確な場所や方角を知ることができ、GPSにアクセスできない場合にはそのこと自体が室内か屋外かを判断する材料にもなり得ます。また、ネットワークにアクセスし入手した付加情報と組み合わせることで撮影時の地形や天気、気温などもあわせて記録できますし、カメラ自体に温湿度センサが搭載されるかも知れません。
そうやって人が感じることのできない情報が有機的に組み合わされて人にとって意味のある情報に再構成され記録されていく時、何が起きるのか想像ができません。これは人には感じることのできない情報を記憶する第二の脳とも言えると思います。

今日、App Storeでカイカメラが配信開始されました。

人が認識できない情報にカメラがアクセスし、情報を介して見ず知らずの人と人を繋げていきます。まだ、これらの技術はヨチヨチ歩きの状態なのでその技術の進む先に何が待っているのかまったく分かりませんが、少なからぬ不安と大きな希望を感じます。